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東京都現代美術館で塩見允枝子のトークとパフォーマンスがあるようです。
フルクサスのことは、知ってるようでしらなかったのだけれど、最近『あいだ』の最新号を読んでちょっと学習し、自分の制作の根拠に近い部分もあるのかなと感じました。 オノヨーコのことももういちどはじめから知りたいと思いました。なぜ私はオノヨーコが好きなんだろうとか。 もしかしたら私は、やってることとやりたいことが離れているのだろうか。 今日はそんなことを思ったけれど、やはりアトリエでドローイングしている時は幸せな時間です。日々の営みという文脈で言えば、それもまた、フルクサスのコンセプトに内包されるものなのでしょうけれど。 塩見允枝子をみたら答えが見つかる、ということでもきっとないのでしょう。 少しぐるぐるしてしまいました。 塩見允枝子トーク&パフォーマンス 「インターメディア/トランスメディア―多様な作品群を繋ぐ手法」 日時 2012年4月29日(日)午後3時30分―5時30分(午後3時開場予定) 会場 東京都現代美術館 地下2階講堂 定員 200名、入場無料(企画展もしくは常設展のチケットが必要です) *当日午後2時より、メインエントランスにて整理券を配布します。 【プログラム】 Ⅰ トーク Ⅱ パフォーマンス 1-A 《顔のための消える音楽/ヴァージョン2012》 1-B 《顔のための消える音楽+バウンダリー・ミュージック/2012 ―ジョージ・マチューナスに捧げる》 2 《ウォーター・ミュージック/ヴァージョン2012》 3 《ディレクション・イヴェント/ヴァージョン2012》 演奏者:大井浩明、柴田暦、福井とも子、村井啓哲、矢野礼子、ヤリタミサコ(五十音順)+観客有志
午後、アトリエに小嶋紀子さんが来てくれました。ベトナムのお茶と苺大福で久しぶりのおしゃべり。
仕事の事、原発の事、がれきのこと、こどものこと、いろんなこと。 彼女は美術の畑ではないのですが、90年代後半からの私の作品をずっと見てくれています。 今やっている制作や7月の新潟での個展にむけてやろうと思っている事を彼女に話して、そうだ、これでいいんだなと思えました。すごくしっくりと。 昨日は、学校の美術準備室でドイツに住んでいる福島世津子さんとスカイプしました。 少し前ガッシュで描いたきれいな色の作品を動画機能で送ったら世津子さんがすごくほめてくれた。 肉声でやり取りする事のたのしさ。 その場に一緒にいて共有できるニュアンス。 facebookで消耗して、そうしたコミュニュケーションの基本中の基本を忘れかけていました。
新聞を塗りつぶすワークをまた始めています。
今年の3月11日の分まで、一年分、一日も捨てずにとっておいた新聞。 あのワークは、ギャラリーKで一ヶ月分を発表。 それをほぼそのまま、喜多方と静岡でも発表。 増やしてはいたけれど、去年の秋以降はほとんどその時間がありませんでした。 3月11日にNODAアトリエであらためて作品を見ると、ギャラリーKで見た時とも喜多方で見た時ともまったく違ったものに見えました。 時間がたって、さらにはっきりとした輪郭で立ち上がってくる何かがあると感じました。 それで、やっぱり、もっと続けてみようと思ったのです。 一枚に費やす時間を考えると、一年分は膨大です。 でも、とりあえず、一枚ずつやっていこうと今は思っています。 ![]()
このごろ更新が間遠なのはfacebookをやってたせいなのですが、なんだか疲れて来ました。だってノートに書いたんだと思ってたらいきなりニュースフィードにあがってたりするのだもの。
今日は午前中は大きい病院で検査。偉いお医者さんが突然若い研修医たちを連れてやってきて私の超音波画像を解説、研修医たちはモニターを見ながらメモをとる。 若い人たちも偉い人もだれも私の事は一瞥もせずモニターを見る。私は人格もなくただマグロみたいに横たわる物体。終了後は、『自分でゼリーふいてくださいね』 いいさ、明日の日本の医療に少しは役立てたと思えば。 お酒はあと二ヶ月一滴もだめだとさ。
東京都現代美術館で田中敦子展をみました。
みるつもりはなかったのに、見たい!と思ったのはその三日前に大阪の国立国際美術館で草間彌生をみたからです。 かつて私は草間彌生の圧倒的な自己言及的表現に救われていたことがあります。あり地獄のすり鉢の底みたいなところにいたあのころ、草間作品は私に、こんな風に自分を表現する事が許されるんだと気付かせてくれました。 今回の草間彌生の新作はスケッチブック一冊に収められそうな内容だと私は思ったけれど、それをあれだけの大作の連作にさせたのは企画者の力技、集客も大成功で、ものすごいエンターテインメントな展覧会でした。ぱっと見、観客の8割以上は若者で、その若者たちの8割以上はカップルで、おそらくは美術の畑ではない人たち。そう、キモカワのやよいちゃんをみるのがデートなんだ。美術館がデートスポットになるなんてすごい! ![]() ![]() で、それはさておき、草間さんはあいかわらずやっぱり『自分』を描いて描いて描いている自己言及のひとなのでした。 すごく遡及的な文章になってしまいますが、草間展の前には神戸の兵庫県立美術館でアールブリュット展をみました。そこでは、当然ながらもっともっと切実な『自分自身』が表現されていました。 見るたびに深く深く感動するけれど障害者アートのもつ二律背反に企画者は苦しまないのかなといつも私は思います。見ているわたしの心も引き裂かれます。 ユングの言う『普遍的無意識』を視覚化できる選ばれた人たち、きっと彼らはそうであり、草間彌生も彼女自身の精神の病を根拠にその一人と見なされているのかもしれません。 でも、それだけで芸術なのだろうか。というか、芸術はそうなのだろうか。 その思いがあって、田中敦子を見てみようとおもったのでした。 田中敦子と言えば『具体』の紅一点でありあの電気服がなんといっても強烈ですが(はじめてみたとき感電しないのかとおもったものです)、実は私は長いあいだ、田中の平面作品はフォーマリスムの文脈で見てしまっていました。それが、2007年、カッセルのドクメンタであらためて見て、あ、このひとはちがうのかと思いました。(ドクメンタ12は一人のキューレーターが彼なりの美術史を再構築すると言うコンセプトで構成されていて田中作品はその美術史のなかの重要なひとつであったのでしたが、あきらかに彼女はモダニズムの文脈の外にいたのです) 上手に表現できませんがつまり田中敦子はフォーマリスムでも自己言及でもない、きわめてコンセプチュアルな作家だったのです。 もしかしたら私は、アールブリュットと草間で、なにかに食傷したのかもしれません。 それで私は関西から東京へと田中敦子展だったのかもしれません。 さて、田中敦子展で私はあのベルを押しました。(行かれた方、押しましたか?) 40秒のあいだ、自分から始まり向こうへ行きやがて自分に戻ってくるあのけたたましいベル。誰かが押している時はただの騒音なのに、自分が押すと全く違う。『つながっている』という『概念』そのものが内側から自覚できる装置。 田中敦子はあのベルの作品でひとりずつに伝えたかった事を、ずっとずっと考え、絵にも描いて来たんだとやっとわかりました。あの平面の大作群もすべてあのベルだったのです。73才で亡くなるまで、『私はこうなのよ』も、『私はこれをやらずにはいられないの』も『私はこんなふうに生きているのよ』も言わずにずっとやってきたひと。 アールブリュットの作家達や草間彌生のように内側を赤裸々に表現しつづけることで真理の泉を見つける事はきっとできるのでしょうが、今は田中敦子のように、自分の外側に向かって作品を作っていたい私です。多分、日常から紡ぎ出すいつもの私のやり方は変わらないので、だからそれは小さな差違かもしれません、でも今は内側に向かいたくない。そう、なにかもっと、強く、きっぱりとしていたいんです。 ![]()
全国高等学校選抜ボート大会の応援で天竜ボート場へ。
選抜と言えば野球ですが、ボートという、この地味なスポーツでも、全国からの高校生が熱い闘いを繰り広げています。 選抜高校野球では被災地から出場する高校と彼らへのエールが報道されていましたが、 この全国選抜ボート大会にも、東北の高校生たちかたくさん来ています。野球の石巻工業はじめ、 13校。大会プログラム巻頭には、宮城県立山田高校ボート部顧問の鎌田先生の震災から一年間の山田高校ボート部のことをつづった文章がのせられていました。 震災の日、山田高校ボート部は普段は2時からの海での乗艇練習をその日だけ1時間遅らせていた、乗艇準備中だった部員達は高台に自転車で逃げたが、生徒全員の安否確認が出来たのは地震から10日後、部員の中には身内を亡くしたり家を失ったり親が仕事を失ったりしている生徒が少なくない、艇庫は津波で完全に破壊され、部のボートはすべて失った、復興の優先順位からして、高校ボート部の艇庫の再建はもとより新しいボートを買うことも望めない、部員達は車で三時間の内陸のボート場に通って練習を重ねてこの大会にのぞんでいる、、、 抑えた筆致でつづられた文章と、壊れた艇庫の写真が伝える真実の大きさははかりしれない。 甲子園でもこの天竜でも、ともすれば、震災美談として消費されてしまう話なのだろうが、そうではないと強く思ったし、何よりも、力の限り漕ぐ高校生達がからだ中でそれを表現している。 さて、三男の浜松北高クルー、準決勝三着で、ギリギリ明日の決勝につながりました。 この画像は昨日の予選です。一位で、、。 ![]()
春めいて来ました。いかがお過ごしですか?
3月11日がやって来ます。そのことについて言葉で何かを発する勇気が持てませんが作品ならと思えます。 ふたつの展覧会に誘っていただき作品を出しています。 ひとつめ 野田小栄子アトリエ よみがえる3 ・11 アトリエの中の作品展 『私は 何をつくればいいの?』 続けている新聞をつかったドローイング作品を出しています。 3月・9・10・11 12時~17時 期間中 ランチ お菓子のご用意をいたしています 売上の50パーセントをプロジェクトFUKUSHIMAに寄付いたします アトリエ 乾久子 ドローイング 森妙子 鶴を折ってください 野田小栄子 インスタレーション 住空間 伊関 万里子 染 ふるさと静岡を染める 大村 雪子 織 アートとクラフトの間 木村伽葉 書 ちいさい書 鈴木剛史 ガラス オブジェとランプ 寺田朝子 陶 祈り ![]() ふたつめ 静岡市のギャラリーsensenciでの写真展 発つ~departure~ 会期 3月11日 17日 18日 24日 25日 詳しくは下記ブログで。 http://sensenci02.exblog.jp/ 3月11日 6時~Departure pray concert 大南 匠(P) 森角敦(P) 織田きりえ(dance) 日比恵三(V)とのコンサート&コラボレーション 要予約 3000円 学生1500円 3月25日 5時~ 大井千明・加藤麻美(G) ショルツ・レネさんのスープ&サラダ 会費 1500円 TEL 0542-64-8626 ![]() ![]()
2月某日
大学時代のサークルのOB会が静岡で開かれて泊まりがけで出かける。 高校時代の同級生に今美術をやっていると言うとものすごく驚かれるのですが、今の美術の友達に大学の時は山登りしてたというとさらに驚かれてしまう私です。 私の事を『お前!』か旧姓の呼び捨てで呼ぶ元山男たちはもうすっかりいいおじさんになっていました。それぞれの家庭や仕事での役割が垣間見られ、当然ながら私とは全くちがう世界に生きている事は感じたけれど、あのころと変わっていない何かは確実にあって、この人たちと若い日々を過ごしていたことをつくづくかみしめました。 昔のように馬鹿げた飲み方も荒唐無稽な芸も実はもう出来なくて、でも山の歌はみんなで歌って、翌日は久能山へ車とロープウェイで行くと、眼下には青く美しい太平洋が広がっていました。こんなきれいな風景の中に私たちはいたんだね。 大学からここまでの6キロを走ってこの急で長い階段を上って下って時にはボッカもして(注/ボッカとは人を肩車して階段の上り下りするトレーニングです)また6キロ走って戻ったんだ、もうとても出来そうもない。 大学に行ってみようと誰かが言っておじさんたちとふたりのおばさんは部室棟を訪ねたりキャンパスを歩いたりしました。 静岡の光と空気はやわらかくておだやかであたたかい。同じ静岡県でも浜松との違いは大きい。 この光と空気の中で過ごした4年間についてまともに振り返った事はなかったことに初めて気付く。 今の自分を肯定できる根拠のいくつかは、もしかしたらあの太平洋の青さやこの光と空気、愚直でやさしかったこの仲間たちにあるのかもしれないとわたしは突然わかった気がして、すこし控えめだけれど確かな嬉しさがこみあげてきたのでした。 ![]() 山岳部の部室ドアにはこんなかっこいい写真が、、。 ![]()
大友克洋原作のAKIRA(映画の)をDVDで見ました。1988年の作品です。
1980年代に考えられていた2016年の日本。AKIRAを原子力あるいは核エネルギーと置き換えて考えるとしたら、、、。大友克洋は予言者なのだろうか。 震撼する内容でした。 AKIRAを見ようと思ったのは、ドミニカ人の書いた小説を読んだからです。 The Brief Wondrous Life of Oscar Wao『オスカー=ワオの短く凄まじい人生』 by Junot Diaz (ピュリッツア−賞受賞) ドミニカの独裁政治の時代から現代までのワオの家族のそれぞれの人生を語りながら、オタク少年オスカーの命をかけた純愛が綴られているおはなし。 マンガ、ファンタジー、ゲームといったオタク文化が膨大な脚注とともに紹介されてもいます。(オスカーは小説の中で何度もAKIRAをみていてそれで私も見てみたいとおもったのですが。) その一方で、オスカーの家族におこる暴力とセックスの波乱、ドミニカにおける圧倒的な暴力、差別、貧困が語られてもいる、、、、。 日本人でありながら私は日本のオタク文化の奥深さを知らなかったし、ドミニカの歴史も政治も知らなかった、そしてなにより主人公オスカーの貫いた純愛に深く深く感動しました。読後にこうした複雑な感想をもたらす文学が存在していたなんて! 作者は小説の中のある箇所で『広島と長崎は永久に破壊された』という表現をすることで核に対する考え方を表明していました。ドミニカの人が、日本に落とされた原爆についてこんなふうに受け止めていた、、、。 物理的にはもちろん、精神的にも遥か遠くにあったドミニカが急に近くなりました。 と、ドミニカへの旅を終えたばかりのきのう、NHKのあさイチにJOYというイケメンのタレントが出演していて、ドミニカ共和国元大統領の孫とテロップで紹介されていて驚いた。トルヒーヨがどれだけ殺しどれだけ奪ってきたかを知ったばかりの私はおもわずスリッパで画面のJOYをたたきそうでした。 読まなければ知らなかったドミニカ、読まなければ見ようと思わなかったAKIRA、知るという事の豊かさはいつもあるものですね。
みなさま
寒い毎日ですね。お元気でいらっしゃいますか? メールでの同時送信にて失礼します。 焼津のギャラリー YELLOW PASSIONでの作品展をご案内いたします。 会期 2月7日から2月19日 9:00~19:00 月曜日定休 ギャラリー Yellow Passion 美容室 K☆Happy 内 (作品を見るためだけに行けます) 〒425-0026 焼津市焼津4-11-2 part8 2F 054-626-0567 ドローイング、ドライポイント、ペインティングの小品を中心にした、1990年代後半から2000年代前半の作品です。 ご高覧くださいますようお願い申し上げます。 以下ギャラリーにおく挨拶文です。 『生まれたもの』からみえること 美術表現者として、自己と外界との対話の方法はいくつかありますが、そのなかでもドローイングは私の中ではとても重要なもののひとつです。 からだから自然に生まれる線やかたちを描きとめる事を大切にこれまで制作して来ました。 描く行為はいつも私には必要で、毎日それを重ね、その『重ねる』こと自体を作品にしてもきました。 からだからじかにうみだされた線は、自分の内側から生み出したものでありながらどこかから訪れたものでもあって画面に定着されたあともやがて誰かのもとに届きたいかのようです。 今回展示しているものはほとんどが少し以前の作品です。 この頃の表現が、今もかたちや見せ方をかえて現在の表現につながっていることを思うと、毎日の描く行為の確からしさと強さを思わずにはいられません。 あすもまたいつものように制作していたいものです。 2012年2月 乾 久子 ![]() ![]()
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