3月8日
ベルリン絵画館でのメモ
ベルリンの絵画館で巨匠達の作品を見る。
ものすごくたくさんのマスターピースがあって、その中のほんの何点かが、美術史で学んだもの、学んだ人。
つまり、圧倒的な量の作品を背景に、巨匠の作品がある。
当たり前のことだけれど、ヨーロッパの美術館を訪れるたびにそのことを思う。文化の層の厚さ、自分との距離の遠さ、とてもかなわないなと思う、かすかな落胆、違いすぎることを思い知らされる。
見慣れてくると、いろんなことに気づき始める。前回は巨匠作品にひれ伏すばかりだったけれど、二回目となると、少し変わった。自分が変わったのかもしれないけれど。
クラナハは面白い。宗教画というよりは近代の視点で鑑賞できるからだろう。どんな人物だったのよと突っ込みたくなる。きっとボーダーラインの変人だろう。イラストレーターマインドで描いてる感じもする。
ブリューゲルは、前回ほど感銘しなかった。彼の超一流代表作ではないからか。描かれているオランダの諺のひとつひとつを知ってみればきっともっと楽しめるのだろう。
デューラーはやはりすごい。ファンアイクまたみたが相当だ。レンブラントもだ。
なぜ、こんな風に描けるのか、日本人は、細密画といっても、ディテールにこだわって突き詰めると言っても、ここまでは無理だ。絵の具と筆と支持体が違いすぎる。いやそれ以前に、こうした突き詰め方が、その画材を生み出したのだろうし、風土というか、環境というかそこが根拠なのだろう。
やっぱり私には線描の軽やかなのがフィットするな、なんて、古い油絵に食傷気味だ。
ボッティチェリは美しい。この洗練はなんだろう。ボッティチェリの輪郭線が私は好きだ。
ラファエロと同時代のイタリア絵画が並んでいる。すると、圧倒的にラファエロがうまいと思う。
ラファエロはみずみずしい。明るくて肯定的だ。
さてそれからマンテーニャに釘付けだ。
マンテーニャといえば、あの『死せるキリスト』だが、あれは、遠近法の技法の例として学習してしまったために純粋に見ることが出来ない。ここで見た聖母子像はすごい。
マリアが抱くキリストは包帯でぐるぐる巻きだ。それに赤ちゃんなのに全然可愛くない。
ラファエロの聖母子像の普遍的な美は認めざるを得ないけれど、私はこのマンテーニャがいいなと思う。包帯でぐるぐる巻きにした我が子キリストを抱くマリアも慈愛に満ちてなどいなくて良い。
自分が好きな作品と、他者の評価が異なる事はよくある。
私は見る目がないのかなと思うこともあるけれど、ラファエロとマンテーニャなら好みの違いということで片付くのかもしれない。
ともあれ、こうして、圧倒的な量の古い作品を見続けると、いいなと思うものと、歴史上の名作はある程度は一致する。そのことで、ほっとしたりするのはなんだか情けないけれど。