中野京子著『怖い絵』1、2、3を読みました。大変面白かったです。
タイトルからは、恐ろしいものやことをテーマにしている作品が紹介されているのかなと思ったのですが、読んでみると、そうした作品は少なくて、『怖い』の意味は、『その話、ブラックだね』というニュアンスで使われていました。
各巻20作ずつの作品が紹介されていて、その作品がどれだけ『怖い』か、それはなぜなのか、作者は実はどうだったのか、これはよく知られている聖書のエピソードがモチーフだけれど実はこんなレイヤーがあるんだよ、などが詳しく書かれていて、本当に面白く読みました。たとえばボッティチェリ、たとえばベラスケス、たとえばブリューゲル、ピカソ、ゴヤ、、、巨匠と言われる人たちの私生活と制作秘話や作品にこめられたもうひとつの隠れ主題などが実によく調べられていたのです。
たとえば2巻の最後の作品はヤンファンアイクの『アルノルフィーニ夫妻の肖像』です。この有名な作品はしばしば『絵解き』の題材に使われていて、私なりに絵の中で語られている物語りの多くを知っているつもりでしたが、読んでみると驚きの連続、当時の階級社会の恐ろしさまで知りました。本当に『怖い絵』でした。
絵を見る、とはどういうことなのか、どんな風に絵を見たらいいのか、そうしたことを改めて考えました。
キリスト教の主題を知らなくてもいい、感性とフォーマリズムで見ればいいのだと習って来てしまった気がします。でも少なくとも近代以前の作品はそれでは真の理解は出来ないようです。
作品のなかのコンテキストは、名画であればある程高尚で、レイヤーも複雑なようです。
制作の主題や意図がはっきりしていてなおかつさまざまな見られ方がなされる作品、といえばいいのでしょうか。
コンテキストをよく知って作品を見たい、というか、知らなければ楽しめない部分が確実にあるのでした。
ところで巨匠たちはだれもかれもが神格化されすぎているけれど、巨匠もひといろではないようです。天才という点ではルーベンスもレンブラントも同じなのに、同時代に生きた2人の人生はあまりにも対照的。才能はもとより、お金も運もルックスも全て持っていたルーベンスは何の苦労もなく巨匠となって富と名声を得て長生きしお金持ちからだけでなく民衆からも愛されたが庶民を主題に絵を描くことは一度もなかった。しかしレンブラントは全てにおいてその真逆。では、現代における2人の作品の評価は?
美術はまだまだ面白い。
ハイコンテクスト化したレイヤーを作品の中に、、という前の記事で書いたことがちょっとわかってとても実用的な読書でした。