もう半月ほど経ちますが、90歳になられるもの派のアーティストにお目にかかってお話を聞く機会がありました。
その方の半生や美術との出会いほかさまざまなことお聞きできて、ものすごく勉強になり、かつ感動し、私なりにまとまった文章を残したいとさえ思いましたが、今日書くのは、そのことではありません。
その方が、私の作品を見ておっしゃった一言についてです。
持参した、私のユポ紙へのドローイングを一瞥し出た言葉は『タブロー主義』
私の作品は、タブロー主義、つまりモダ二ズムであり、それはもう古いのだということでした。
その日以来、この半月ほどは、ずっとそのことを考えていました。90歳の人にあなたは古いと言われたということ。
いろんな人と話し、いろんな作品を見て、私は古いのかということを問うてみました。
結論から言うと、私はタブロー主義ではないと思います。ただ、ドローイングを額装してホワイトキューブに並べた時点でタブロー主義と言われる見せ方をしてきたのは事実です。
つまり、やっていることをやっているままに見せていない私がいました。そのことに気づきました。
私は自分の世界観が伝わるように見せていないのです。
そのことにおいて私はある意味尊大で、怠け者だったと思います。
その尊大さをもってモダニズムと定義されるならモダニズムなのだろうと思います。
一点の素晴らしい芸術にひれ伏すのはモダニズムです。
でも、私の世界観はモダニズムではないと思います。
タブローを描こうとしてもドローイングしか描けない時点で、その、創作者として欠けている存在である時点で、求心的でソリッドな制作の世界には住めない私なのです。
以上、覚え書きとして。