30日
夜明け前に家を出て東名をとばして実家へ向かう。餅つきの手伝いに動員されたのだ。実家には、母と、障害を持つ姉が二人ですんでいる。長く続いた商いは亡くなった父の代で廃業し、年の瀬に里帰りしても往時の賑わいはない。勤め人となった弟は年末も正月も仕事で餅など埒外のようだ。
お餅なんて自分たちの分だけ買えばいいのにと思うが、母にとってはそうはいかない大切な仕事で、本家の嫁として、彼女は今年も、2升×12回も餅をつく。米とぎだけでも相当な労働だ。
子どもの頃、餅つきの日は、暗いうちに起こされた。母屋の外、『ウラ』と呼ばれる土間の作業場に置かれたかまどに薪をくべるのが私の仕事だった。炎はずっと見ていても飽きない。美しいし、かたちがずっと変化し続ける。少女の頃のように、またその仕事をしたかったけれど、それは連れていった小学生の三男の仕事となり、私は母の指図で休みなく働く。
今時、まだ、かまどに蒸籠(せいろ)ですか、と思うけれど、この餅つきのためだけにかまども蒸籠も温存している母。その気持ちと強度、持続においてムスメの私はただ尊敬するばかりだ。餅をのす板に『大正5年』と書かれていた。90年間も毎年これを使っているということらしい。
のし餅のほかに、供え餅をいくつも作る。これは地の神さんに、これはオコウジンサン(火の神のこと)に、これはオイベッサン(恵比寿さま)に、と。たくさん『神様』がいるのはなんだか楽しい。
かまどの火、煙突の煙、蒸籠で蒸されたもち米の匂い、などは、私の忙しすぎたこの頃に、ちいさな潤いをもたらしてくれた。かすかな切なさとともに。
帰宅すると、もうそのまま倒れ込むほかはないほど疲れていて、大晦日になっても疲れは取れず、さまざまな年末の仕事は滞ったまま2007年がやってくる。