今日も記録集の制作。
プリントして一枚ずつ広げて乾かして、表が終わったら裏をプリントして、一枚ずつセンターに切り込み入れて、半分に折ってページごとに重ねて、背中にボンドつけて表紙の紙と接着して完成。製本が一番楽しいです。
というものの、制作しながら、本質的なことにも目を向けざるを得ません。すでに編集の段階で明らかになっていたことですが、あの個展とこの記録集は別、起死回生のアリバイ証明としなければ、という思いが歴然です。裏を返せば、いかにあの展覧会が多くの問題を残したか(自分にとってです、もちろん)ということで、それは作品の質とか内容の問題ではなくて、ドローイングそのものを個展のテーマにした事自体への問いとなって行くのでした。
本質は、具体的に『モノ』として残してみてさらに明らかになるものですね。だとしたら、一冊作れば十分だったかもしれない。こんな途中経過の報告をしても意味あるの?みたいな。でも、本としては結構きれいだし、途中は途中で差し出すことでさらに鍛えてもらえるかもしれません。常に他力本願モードなわたしです。
映画『バベル』を観たのです。そして思いました。あ、こんな作品を私も作りたい、と。そして、目の前の記録集の作品との根本的な違いがますます顕在化する。日記を書くように制作しても、本当の作品にはならない、ということが。