深夜救急のイケメンの若い医者が言った。
『重篤な病気ではなさそうですね。平たく言えば頭痛薬による頭痛ってことでしょう。30錠飲んでその症状だったら死ぬかもしれませんがね。』
二錠飲んだだけの私は、そのままホテルに戻って就寝。あす朝、新幹線で帰ってうちで寝てるのかなと思っていたけど、朝にはけっこう元気になっていたのでホテルまで来てくれた中西さんと神戸をまた歩く。
神戸市立博物館。
地図の展覧会。昔の日本地図、昔の世界地図、様々な地図。地図ってなぜこんなに面白いのだろう。
中西さんが持参してきてくれた村上華岳のカタログをみる。よいではないか。
浦上玉堂もいいよ、と玉堂も博物館の図書室で二人でみる。たしかに、すごくよい。
自分が、教えられてしまった美術、知ってしまった美術から自由になってきた感じがする。
つま先から頭まで100パーセント自分自身でありたいと思います。
元町でお粥を食べて(おいしかった!)帰途につく。
神戸で。
友達の神戸時代を実は私はほとんど知らなかったことを知った。でも彼女がすごした時間と場所はまぎれもなく存在し、ともに生きた人たちがいる。その圧倒的な事実は何より彼女の生を肯定するし彼女の死を悼む多くの人の嘆きを和らげうると感じる。
傷心しているからこそ敏感になれる美があった。本当に美しいと思えるものに正直になれた神戸。サルガドの写真、華岳、玉堂、古い地図。
そして、三ノ宮センター街が内包するかすかな切なさ。
また行こうと思う、神戸。