カテゴリ
全体 art全般 展覧会のお知らせ 展覧会報告 展覧会準備 制作日記 みてきた展覧会 こども 介護日記 音楽 読書 旅の記録 映画 教える仕事 自然 文化一般 ぐだぐだ レジデンス日記 くじびきドローイング 未分類 以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 11月 2023年 09月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 フォロー中のブログ
最新のコメント
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
3月10日 猪苗代のアルパインロッジに泊まろうと思ったのは、ここで働く平山とし子さんにもう一度会いたいと思ったからです。 2021年の夏、10年目を歩く旅をしている時にここで出会い、富岡から避難してきた高校生たちとのお話しをたくさん聞かせていただきました。10年目の旅をまとめながら平山さんに掲載の確認などをしている中で、もう一度お話を聞きたい思いが生まれたのです。 アルパインロッジは今日も美味しい朝ごはんでした。食べ終わるころに平山さんが会いに来てくださいました。今日は勤務日ではなかったのに、私からの事前連絡でわざわざ出向いてくださったのです。 平山さんは3年前より少しほっそりとしてちょっと綺麗になられたように感じました。そして明るく若々しくなったようにも。 (もちろんそんなことは口には出せませんが、男であれ女であれ、以前より綺麗になったりかっこよくなっていたりする姿を見るのは好きです。何かいいことあったかなと想像するととても楽しいからです。) 平山さんは富岡の子どもたちとのその後の交流のお話をまずはしてくださいました。 3年前には、震災時ここに避難して来てお世話をした子に結婚式に呼ばれていることを嬉しそうに話してくださいましたが、今日は、その子がもうお母さんになっているというお話を聞きました。そんなふうに、平山さんの震災後の物語は続いていたんだとすごく嬉しくなって、その子はもう平山さんの外孫ですねというと、本当に!と相好を崩すのでした。 平山さんは、3年前にお聞きしたような子どもたちとの交流やご飯作りで彼らを愛したエピソードをまた今度も話してくれましたが、3年前には口に出さなかったことも話してくださいました。 ひとつは、富岡の高校に入学して来るバトミントンの選手たちは特別な存在なので、彼らの帰還後のことなどは手厚い待遇となっていること。選手たちのバトミントンの活躍を伝える立派な冊子を何冊も見せてくださいましたが、そのページを開きながら、結局、あの子たちは復興の広告塔になっているんだよねとおっしゃるのでした。 もうひとつは、猪苗代にいる自分には、本当の共感はできないんだということを何度もおっしゃったことです。 平山さんには、浪江町から猪苗代に来たお知り合いがいらっしゃるそうですが、その人の苦労は本当にはわからないというのです。浪江の人たちは、同心円の距離で言ったら原発からはある程度あったけれどあの日の雲の動きがあったでしょう?だから相当厳しいことになったのに、原発お膝元の大熊町とは補償額が違ってすごく気の毒なんですよ。でもそういうこと、私たちには、心から共感できてないし、そもそも本当の共感なんてできないことなんです。それほど、被災のひとつひとつがひとりひとりデリケートで、みんなそれぞれの事情があります。だから気の毒と思っても100パーセント共感できているとはとても言えません。福島ってひとくちで言っても本当にそれぞれで、、といったことを話してくださったのでした。 そうしたことを聞くと、それでは私はどうしたらいいのだろうと思ってしまいます。私など、福島県民でもないわけですから。 多くの暖かな福島の人たちが、そんなことありません、福島を思ってくださるだけで嬉しいんです来ていただけるだけでありがたいんですと優しい言葉をくださるけれど、平山さんですら被災当事者への遠慮と届かなさを持つのだから私など話にならない距離にいるのだと思いました。 今編集中の10年目を歩くの本の原稿を長男に読んでもらったことがあります。その時彼は言下に、お母さんは尊大で勉強不足だと言いました。それは具体的には今日平山さんが言ったようなことに私はしっかり向き合わず何か自分の想像力でカバーできているような気になっていたことを指すのだろうと長男の言葉を反芻しました。その時は厳しい言葉をくれるのはありがたいと思ったのですが、ただそう思っただけで止まっていた私だったかもしれません。 この旅から帰って数日後に会った浜松の友人との会話の中でも、福島に行って来た、13年目だしと伝えると、自分には実感が全然ない、親戚か友だちが被災したとかそういうことでもなければ自分のことにはならないと思うと言われました。 その突き放すような言い方の方が、福島の人たちを傷つけないのかもしれないと思ってその言葉を聞きました。 でも、そうであっても、福島を歩きたい福島を知りたい私がいるのです。 ともあれ、私が福島を歩きその展示をしたり記録を残そうとしていることをお伝えした2021年とその後のやり取りの中で、平山さんは私の何かを信じてくださったのかもしれません。それで3年前には聞けなかった彼女の本音のようなものに触れさせていただけだのだとすれば、それは何かの広がりであるのかもしれません。 そう思いたいものです。 #
by hisakoinui
| 2024-03-18 14:59
| 旅の記録
|
Comments(0)
3月10日に会津若松にある福島県立博物館でのトークを聞きに行きました。その前日にも翌日にも幾つか予定を入れながら、震災後13年目の福島を歩きました。その時のことを書いておこうと思います。 3月9日土曜日 浜松から横浜そして猪苗代へ あまり日付けを意識することなく鴨江アートセンターのワークショップを申し込んでいました。 活版印刷のワークショップです。 定員10名。あの活字を拾う工程をさせてもらえる、自分の言葉を活版印刷してもらえる、それだけで楽しみでならず、募集開始直後に申し込みました。この日の午後二時半から必ず行きますと言って入れていた予定が横浜であったことには後から気づきました。 午前10時少し前に鴨江アートセンター着。 ワークショップは12時まで。12時17分のひかりに乗らないと横浜の予定に遅刻しそうなので、順番待ちしないで一番で印刷してもらうほかはないとまなじりを決して臨みました。 名刺サイズの紙にひらがなで好きな言葉を活版印刷する、というとてもシンプルなワークショップ。 紙の四辺に貼り絵で装飾をする作業に少しかかりましたが、私は一番で活字拾いをさせてもらいました。 ひらがな限定であっても活字には種類がありました。逆さまになっているそれらをピンセットで拾って並べます。楽しい作業です。銀河鉄道の夜の中のひとつのシーンにジョバンニが活字を拾うところがありますがそれを思い出しました。そして、ああ、文字がモノになっている姿っていいなあと活字の並んでいる箱を眺めました。 こ と ば の ま わ り と、拾って試し刷り、そして本刷り。 名刺サイズのいろんな色の紙に刷らせていただきました。紺とか薄茶とかベージュとかグレーとか、白とか。。 活版印刷は暖かい。プリントではない、インクの吹き付けではない、印刷。金型にインクをつけてガチャンと押して紙に押し付けられて写る文字のひとつひとつは、物質感と温度と強さがありました。 少し乾かしてから、大切に名刺ケースにしまいました。 1番目にやれたので、他の参加者の方々の完成作はみずに退席し、浜松駅に向かいました。まだ11時半を回ったところでした。 12時17分のひかり指定券は持っているけれど、それならばこだまにしようと、11時55分のこだま号自由席に乗り込みした。ひかりは混んでいて三列席しか取れなかったしスーツのサラリーマンの忙しそうな男性に囲まれてサンドイッチ食べるのもなあと思ってしまう こだまの二列席の窓側に座ったならば、富士川を渡る頃には美しい富士山の眺めが堪能できました。 横浜での用事はジネンコロキウムという研究会への参加でした。 自然科学と芸術のクロスカルチャー、今日のテーマは『ありえないものをつくりたい』です。 彫刻家で友人の婦木加奈子さんと科学者の岩見健太郎先生の発表とクロストーク。婦木さんは鉄で作った浮き輪やランドセルの彫刻作品のお話、岩見先生は、物質の屈折率を変える研究のこと、とても興味深く聞きました。ともにありえないものを作っているところがまずは面白くて、ありえないと言いながらあり得ているところが面白くて、何よりありえないものを作っている人たちの姿はとても魅力的で参加の人たちのリアクションも楽しかった。 でも今日は、猪苗代までは行っておきたい旅程なので、ジネンコロキウムの最後の30分を早退して東京駅へ。 東北新幹線で郡山、郡山からは磐越西線で猪苗代と移動しました。 猪苗代着21時。 宿泊先のアルパインロッジには予約の時と今朝と2度の電話で駅までの迎えを確認していたのだけれど、次々と迎えの車が去っていく中、最後の車がいなくなって、私ひとりが駅に取り残されたのでした。気温はマイナス4度。横浜では12、3度はあった感じなので誰もいない猪苗代駅はとても心細くて寒かったです。雪も降っています。 もちろんすぐに電話をしました。 宿への電話は21時までとあったので不安だったけれど長いコール音の後に出てくれました。よかった。 ごめんなさい!すっかり忘れていましたということでした。 朝には浜松で活版印刷をしていたのに今は雪の降る猪苗代の夜の駅でひとりで凍えている自分がなんだか愉快でした。 車は10分後には来てくれました。寒かったでしょうすみませんとたまさか恐縮されてかえって恐縮しました。 ◦
#
by hisakoinui
| 2024-03-17 21:19
| 旅の記録
|
Comments(0)
飼い犬の排泄の感じがなんとなくおかしくて獣医に見てもらっていた。毎年の狂犬病ワクチンやフィラリア予防でお世話になっている近所の獣医さんがいる。 その人の指示に従ってフードを変えて様子を見ていたけれど思わしくない。それでもなんとなくそのままにしていたが、やはりこれはという事態になって来て、別の獣医にみせたらすぐにここへ行くようにという紹介をもらった。 浜松どうぶつ医療センターという総合病院のような大きな施設だった。こんな大きな動物病院があったのかと仰ぎ見た。 どんな疾患かは知らないが、ペットとその飼い主がずらり待合室に並んでいる。 長く待たされてからの診察、それに続くエコーや検査などがあり、その人間並みの設備に目を見張った。数日後に知らされた検査結果とその後の流れで、開腹手術で腫瘍摘出となり、亡くなるリスクの説明も受けた。 私はどこかで犬は犬なんだと思おうとしていた。こんな大がかりで高額な医療を受けるのはおかしい、何もしなければ余命が短いとしてもその時間、最大限に愛すればよいではないか。 それでも獣医師の言うことに全て従ったのは、どうしても愛犬を失いたくないという一点に尽きる。 手術は1度目はうまくいかず再手術となった。その場合の死亡リスクはかなり高いと事前に説明があったがそれも行った。術後には輸血という言葉を聞きドナー犬という存在を初めて知った。 周囲にドナー犬のことを聞いてみると、犬に輸血?という反応がスタンダードだった。当たり前だと思ったがSNSでの発信には多くの閲覧とリポストがあった。ありがたいと思ったが、同時に、ガザ地区の傷ついた子供たちへの輸血の話なら良いが、犬の輸血を募ったことを恥ずかしく思った。 結果として、再手術後、点滴を受けながら10日間の入院を経て、飼い犬のクッキーは生還した。輸血はしなかった。 『面会』も含めて毎日のように通った動物医療センターの待合室は、はじめはとてもシュールな風景に見えた。 心配顔で深刻な様子の人間たちとその膝にいるペットたち。自分のことはさておいて、SF小説のワンシーンのようだった。近未来では人はもう子を産まず、人のクローンかペットと暮らしているのだ。 ところで、よく言われる、犬だって家族だものね、という言い方は、突き詰めれば犬は犬なんだという考えのカテゴリーのように思う。そこにはやはり人間の上位がある。 年明けからずっと続いたクッキーの治療で思ったことは、人間だって動物なんだということだ。 大腸癌に罹ったら、その部位を取り除く。縫合にはリスクが伴うし、細菌に侵されて腹膜炎を起こすこともある。 人間も犬と同じだった。犬も人間と同じというよりは、この言い方がしっくりくる。更に言えば、犬の方が人間よりも生命力がある。大腸癌の術後10日で庭を走り回ることは人間にはできそうもない。 動物たちは瀕死で重篤で死が目前でもその時まで自分で自分を生きるのだろう。 そしてこれはちょっと自分でも思いがけないことだったが、私たちだって動物として生きているんだ、という感覚が生まれた。そしてもっともっと動物として生きたいと思った。 #
by hisakoinui
| 2024-03-14 19:04
| 文化一般
|
Comments(0)
今日は、長い時間アトリエにいました。
朝のうちに晩ご飯を作ってお弁当を持って家を出ました。 もう子どもが家にいるわけでもないのだから、ごめんね今日はご飯作らないからと言って家を出ても、さらに、ごめんね今夜はアトリエに泊まるから、とか、さらにさらに、連絡もせずに繁華街を深夜までひとりでさまよい歩いても、多分大丈夫なんだろうけれど、毎日、きちんと食卓を整える私がいます。 ひとりで過ごす時間はとても大切だといつも思います。 その時間をどれだけコンスタントに作れるかが、私における要です。でもなんとなく責任を感じてしまうのでその時間がとりにくい、のでしょう。 責任。 夫が最近の健康診断で高血圧と言われたというので、責任を感じます。やっぱり味が濃いのかなあ私の料理、とか、味噌汁を一日二回も出したら塩分過多でしょうねやっぱり、でも朝のが余ったら夜も味噌汁をだしてしまってそれがいけなかったの?など、責め苛まれるわけです。 同じものを食べている私は上が90しかない低血圧であるのだから、責任は私にはないと抗弁してもいいけれど、なんだか申し訳ない気がしてしまうのです。 そこから自由になるのはまずひとりの時間と空間な訳で、とりあえず、わずかながらも広がりがあった今日でした。 誰も知らない私になろうとしているのにまだまだだと思います。
#
by hisakoinui
| 2024-03-06 18:55
| ぐだぐだ
|
Comments(0)
毎日犬の心配と学校の仕事の片付けに明け暮れている感じがします。
犬のことは何かできるわけではないので獣医師を信じてまかせるほかはなく、犬にもそんな治療があるんだと驚きながらそうと知ったらそれではお願いいたしますと祈っているばかり、昨日も今日も。 片付けの方は、長くお世話になったある高校の仕事が今年で終わるので、準備室に長年積み重ねてしまったもろもろをやっと持ち帰って来たところです。 今は、アトリエにしている家のリビングの床いっぱいに荷物が溢れています。 年度ごとに一冊スケッチブックを新しくして、その年の生徒たちと同じ制作を毎年してきたので1996年からのスケッチブックが積まれてしまいました。 この年はこんなことをしていたんだなあと懐かしいけれど、私って本当に下手くそで恥ずかしい。時々、あ、この絵はいいなと思うものが出てきて嬉しくなったりもするけれど。。 素描の授業は毎年1学期にやっているのですが、昔より最近の方が上手い感じがします。生徒たちと一緒に成長できていたのだとしたら、いい仕事だったんだと思います。 花のスケッチは、水彩ではなくボールペンや色鉛筆の線描だけで描いているものが、自分のドローイングとクロスして良い感じでした。 まとめて全部捨ててしまうつもりだったけれどなんとなく出来ずにいます。 シラバスを見ると、ほうこの年はこんなことをと思ったり、 毎回の授業ごとに提出させていた制作ノートのコピーが出てきて、生徒たちえらいなあと感心したり、、。 五十音写真面白かったです!という感想がたくさん出てきたのだけれど、50音写真ってなんだっけ?とすぐには思い出せません。 写真の授業を一生懸命やっていたのは、スマホが普及するずっと前で、今なら高校生の方が写真は上手そうだけどその頃はまだ私でも教える側にいられたんだと思ったり。。 五十音写真とは、多分、国語辞典をクラス分国語準備室から借りてきて生徒にわけ、無作為に広げた辞書のページにあった言葉を写真のテーマにして、写真でその言葉を表現する、といった内容だったと思います。 くじびきドローイングみたいなことを写真の授業でもやっていたんですね。 自分でテーマを決めるんじゃなく目をつぶってえいっと開いた辞書のページにあった言葉をお題に撮影。いろいろセッティングしたり、友だちにモデルをさせて再現ショットにしたりした子らもいたような。。 その一枚一枚をスクリーンに映して発表会をして結構盛り上がったこと、だんだん思い出してきました。 自分の中では作家の仕事が上位でこの教える仕事の方は、ただのパートの先生、制作の材料代のため、だなんてうそぶいていたこともありましたが、確実な報酬を得られたのはこの仕事だったし、少しは誰かの役に立ち自分も成長できたのです。高校生たちとの時間は輝いていたし、尊い仕事であったと思います。 写真は、一月の最後の授業が終わった後の私です。 彼らの最後の作品は20才の自分への絵手紙制作でした。 私が2年間保管してから投函することになっています。 黒板に貼ってあるのはくじドロの作品群です。 夏のオリジナルTシャツ制作 最後の授業の日
#
by hisakoinui
| 2024-02-16 23:26
| 教える仕事
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||