とても美しい作品でした。
窓ガラスに写真を貼ってるだけ?と初めは思うのですが、写真は貼ってあるのではなくプリントしてありました。え?ガラスにプリントできるの?と素朴に不思議に思っていると幸運にも作家さんの説明が聞けました。
スキャンした写真を透明フィルムにプリントし二枚の特殊ガラスで挟んであるのだそうです。もちろん、サイズはこの廃屋の窓に合わせて制作されています。土壁だった部分もはめ殺しのガラスにしてあるそうです。
写真はこの集落の人たちのアルバムにあったものすべて。文字通りの集落の人たちの『記憶と思い出』が美しく視覚化されていました。
私たちは夕方に近い日差しの下で見たのですが、季節と時間でいつも光が違う、一度も同じ光はないのだそうです。ずっと居たくなる作品でした。 No.210 大谷俊一 『影/来し方行く先』
みかんぐみとBankart妻有は廃屋に圧倒的な都市デザインを持ち込んでいました。
そしてそれは成功しているように思われました。廃屋と過疎の村だから作品は『記憶』や『思い出』ばかり、ちょっと食傷していたというのもありますが。
一番オオッと思ったのは『無線LAN使用可能、パスワードなし』のミニ看板。妻有ではいたるところで私のauケータイは圏外なのに!
この国際野外アートトリエンナーレの存続の鍵はこんなところにあるのかもしれません。
写真は自転車をこいでかき氷を作るBankART カフェ。中学三年生、楽しんでいます。
中学生たち、2日目は宿にとどまり『勉強』の予定。結局、釣りと虫取りとトランプで終わったようですが、彼らの存在は今回、作品鑑賞のひとつのバロメーターになりました。
中学三年生に見せる作品はやはり本物でなければならない、そう真面目なハハは思うのです。鋭く繊細な感受性を持つ彼らには、嘘はつけない。『これが現代美術という芸術だよ』と言えるものを見せたいな、と同行していて次第にそう思い始めたのです。
2日目は夫と二人で回っていて、作品をみるたびに、ここにもう一回来て彼らに見せようと思うかどうか、話しました。だって50キロにも及ぶ広いエリアを車で走り、わかりにくい道をもういちど訪れるのは結構な労力ですから。
その観点で作品を見始めると、すごくすっきりしてきました。私の中でその作品が一流の芸術と認められるか否かは、思春期の息子に見せたいと思うかどうか、だったから。とてもシンプルです。
自分でもとても意外だったのですが、今回の越後妻有アートトリエンナーレの目玉的存在の田島征三の『絵本と木の実の美術館』は、「見せなくても良い作品」に分類されてしまいました。もちろん、大人や小さい子どもは楽しめます。実際、楽しめる場所だったし、私はこれまでも田島征三の仕事を尊敬してきました。でも、芸術としてみると本物ではない感じがしてしまったのです。
初日、向山明子のドレスのインスタレーションでは、月経の血液に染まったドレス(作品の一部だったのです)を中学生たちに見せてしまい、傷を負わせはしなかったかと心配になったけれど、田島征三ではなく向山明子を見せられてよかったと今ははっきりと思います。