絵描きが主人公の映画を二つ見た。
ひとつは「カラバッジオ」(正確なタイトルちがったかな、副題があったような)
バロックの巨匠カラバッジオを描いた映画。
枢機卿というパトロンなしには制作をつづけられない当時の背景がよくわかりました。そしてその大事なパトロンと折り合いをつけられない主人公の壮絶な生き方が、まさにバロック的に表現された映画でした。
もう一つは「セラフィーヌの庭」2008年 フランス・ベルギー・ドイツ映画
セラフィーヌ・ルイは素朴派の画家として知られているそうですが、私は彼女の作品をこの映画で初めて知りました。素朴派というよりむしろアールブリュットという感じかなと思いましたがそうした分類はどうでもいいこと。
37歳のときに守護天使様のお告げにより絵描きになったセラフィーヌは家族も財産も教育も何も持たない貧しい家政婦です。おそらくはチタニウムホワイトであろう顔料だけは画材屋で買いますが他の絵の具はすべて手作り、自然の中で生き、家政婦の仕事以外は人に会わず絵を描いている。やがて画商ウーデとの運命的な出会いによって才能を開花させていくも、戦争で引き裂かれる。再会後はカラバッジオ同様芸術の声を聴くあまりにこの大切なパトロンを大切にできない。やがて精神病院に収容され、それからは一枚も描くことなくこの世を去る。
二つの映画で共通して感じたことは、表現者のもつ制作へのモチベーションについてです。
ふたりとも、やむにやまれぬ何かをもっている。守護天使様のお告げだなんて、統合失調症の幻覚
だと言い切る人がいてもおかしくはないけれど、それはセラフィーヌにとっては何にも優先するたいせつなものだった。
心の闇、そう言ったらおかしいだろうか。
狂気にも似た闇のようなもの、それが制作に向かわせた。
二つの映画で共通して感じたことはそのことです。
だったら、闇を持っていることはすばらしい。
闇は闇だから、だれかに共感してもらうことなど望むべくもないけれど、その孤独を愛せるならば作品を作っていける。
そう思わせてくれた二つの映画でした。