父の死から12日が経った。
弟からケータイに連絡が入ったのは、オープニングの翌日の夕方だった。高校で4コマ授業をして、ギャラリーで記録DVDの撮影をして、もうへとへとだ、今夜はご飯作れない、、と倒れ込むようにして帰宅した。運転中にケータイは鳴ったがそれは出ないで、帰宅後にかけた。
それからあとの、今現在までのことをコトバにすることは、なかなかできない。確実に肯定できるいくつかの思いについても、もう少し内側においておこう。
四十九日や初盆の準備、名義や年金、遺産のことなど、多くの物理的な事務処理で忙しくはなった。
展覧会と重なっている。学期末処理と重なっている。東名を何度も往復していると運転中に眠くなる。
ギャラリーのY氏が言った。
『お父さん、急で大変だったけど、オープニングの後でよかったですね。三日早かったら、ギャラリーは臨時休業で、お願いしていたすべての関係者に謝らなきゃいけなかった。』探して探して見つけた彼の最大限のねぎらいの言葉だと思う。
講演会は無事開催できた。