一週間といちにちがたちました。
たくさんのことを感じ考えている、、つもりだったけれど、、もうよくわかりません。
テレビから溢れる津波の映像、被災地の映像を見ていると胸がつぶれる思い、、、なのですが、なにかもうよくわからないです。
それでも、原発のことを始め、どうしても今の情報を知りたくて、時間があればテレビやラジオをつけたり、情報サイトにアクセスしたり。
ラジオを聞いていると泣いてしまいます。被災地の様子、被災者へのメッセージ、そうしたものがとても個人的に伝わってくる感じがします、テレビとは全く別の種類のメディアなんですね。
みんな本当に大変な中をがんばっているんだなあと、本当に本当に思います。
三日前でしたか、NHKラジオ第一放送の被災情報、原発情報の合間に音楽が流れました。一曲目はオリビア・ニュートンジョン、二曲目はアンパンマンのテーマでした。自分でも驚いたのですが、その音楽がとってもじかにわたしのこころにふれてきて涙があふれて止まりませんでした。いつもは聞かないジャンルの曲なのに。
音楽ってすごいなあ。音楽はいいなあ。こうやって人を励ますことが出来る。
素直にそう思いました。
では美術には何ができるのか。
直接には何もできないかもね、と言うのがもしかしたら正解に近いのかもしれません。
ただ直接にはできないけれど、深いところでは、強い力を持ちうるとも思います。
人の精神が生み出すものなのだから、それが力を持たない訳がないと。
何かやれることはないのか、と善意の人たちがみんな言っています。
こんなわたしでも思います。二人目の息子も巣立って行くので子供部屋がもうひとつ空きます。疎開して来てくださってもいいなとさえ思います。孤児になってしまった子だって多いのではないかと案じます。
でも、今具体的にやれることは、募金と節電(浜松でやっても意味がないけど)と買い物をしないこと車にのらないことぐらいです。
今日の夕刊で山田洋次がいっていました。表現者にできることとして、想像すること、そこからひととつながることこそが大事だと。
それは美術にできることにもつながるやり方かもしれません。
カミュとサルトルの論争では、行動するサルトルは思索と著述にふけるカミュを断罪したそうですがサルトルよりもカミュに勇気づけられたという人はおおいようです。
まとまらなくなってきました。
日々の暮らしを大切に自分の感じるリアリティを大切に、普段通りの制作を続けていきます。
私の作品で元気を出してもらえればなんて、とても言えないことだし、そのスタンスはもちたくないです。
やれることを探すよりも想像すること、なのでしょうか、いまは。
そしてしっかり現実を見つめていたい。
そうすれば今自分の置かれている状況の中で何が出来るかが見つかる気がします。