武満徹のエッセイを読んでいます。静かなものが読みたい今です。静かな知性に彼の音楽と同じ質と気品を感じます。
今日読んだところにこんなくだりがありました。
『音楽を通じて、既往の状態から脱した、他者との生き生きとした新しい関係を得ることは、困難なことであろうか。 また音楽は何かを動かすことに少しでも役に立たないのか。
私は、音楽が社会変革を助ける力になるであろうなどということについて考えているわけではない。音楽の無力を知った上で、私は、なお、それを捨てることはできない。
他者との関連なしに音楽を想像することは私にはできないが、それでも音楽は<社会>という単位においては、ほんとうのすがたでは現れることがないもののように思う。音楽は人間の孤独な感情に結びついたものであり、それゆえに、社会との相関においてその意味が問われるのである。』
音楽を美術にかえても、そのままあてはまるように思うのは乱暴でしょうか。
中ザワヒデキさんから『方法』が配信されました。
芸術家としてでなく、市民としてボランティアに参加するとありました。
『方法』で事実を配信することは作品だがボランティア活動は作品ではないということと理解しました。
お医者さんでもある中ザワさんはきっとものすごく被災地で活躍されるのではないでしょうか。