仙台は今度も雨でとても涼しかった。『壁』がテーマだったが、何かを問い直したりするエネルギーが全くなくて、企画者に迷惑をかけないようにただ与えられた壁に無難に作品を設置しただけだった。こんな発表ならやらない方がいいのかもしれないが、ドタキャンよりはましだったろうし、何より少数ながら『壁』を問うている作品に触れられたし、新しい出会いもあった。作品と旅するのはよきかな。
東北大理学部の自然史博物館へ行く。石、化石、珊瑚、地図。私の好きなものたちが、『美術品』の主張をすることなく静かに置かれている。無機質の美しさに内側から満たされていく。
地底の森ミュージアムという、2万年前の森のあとの発掘現場をそのまま見せている博物館へ行く。二万年前の記憶を前にすると、壁だのなんだの、現代美術なんてあるかなきかのものだ。
読書記録
山本周五郎『さぶ』
この人の小説は生まれて初めてだ。長男が学校の課題図書で読んだらしいのが居間に放置されていて、家を出る朝の選ぶ間もないあわただしい出がけに鞄に入れた。
人をゆるすこと、運命をうけいれることがテーマだった。重かった。
『ボルタンスキー/死者のモニュメント』湯浅英彦 水声社 2004年
仙台メディアテークに入っているナディッフで購入。彼の作品はずっと好きだ。死とか喪失とか記憶といったものをなぜあのように視覚化できるのか。失われたものを媒介に共にあることを確認する儀式のような作品群への緻密な論考。
『ガラスのくつ』エリナー・ファージョン
ファージョンを読めば安らぐのではないか、癒されるのではないかと思って再読する。
実際これまでも何度もファージョンを読むことで、あるいはファージョンを子どもたちに語ることで、尖った心がなだらかになったり、乾いた気もちが潤ったりしてきたものだ。だが、今回はそうではなかった。それはたぶんファージョンのせいでなく、私自身のモンダイだろう。石井桃子の訳文も、以前は慈愛や品性を感じたのだが、今回はなぜか世間知らずのお嬢さんの文章に思われてならない。あるいは誰かが語るのを耳で聞く方がよいのかもしれない。