最近の読書はちょっとお勉強モードです。
『大震災の中で 私たちはなにをすべきか』内橋克人編 岩波新書 2011
『世界』8月号 東日本大震災・原発災害特集 /人間の復興を!暮らしの復興を!
岩波ブックレットNo.814「取り返しのつかないものを取り返すために」
そして、この前の土曜日には、「3.11以後のアートとアトム」というシンポジウムへ。
これは東京現代美術画廊会議主催の『新世代への視点2011』の中で、1988年、89年、90年生まれの美大生たちが企画したもので、大震災のあとでアートが出来ることは何か、アートは本当に無力なのか、という問題提起が若い彼らからなされた、
ひとりの美大生が『アートが出来ることは『癒し』ではないか』と提起した。
その途端、と言っていい程のタイミングで、私は、隣の席の元ギャラリストのM月さんとともに、「え〜!それは違うよ」とおもわず声に出してしまった。
パネリストである大学の先生も丸木美術館の館長も批評家もこぞって反論し、美術作家の池田龍雄氏は『けしからん』とまで言って、美大生はコテンパンだった。
でも、美大生がコテンパンになるにしたがって、私には別の感情が生まれて来た。
もしかしたら、彼女は美術作品に触れたあとにおこるあの不思議な悦びのようなこころの変化を表すのにはただ語彙が不足しているだけなのではないか。そうした美術がもたらす心の変化を経験しているのに、それについて丁寧にわけいることをせず、『癒し」ということばのなかに、乱暴に放り込んでしまったのではないか。もっといえば、『癒し』という言葉が、それら微妙な機微までも包括する記号になってしまっているのではないか。
かたやセンセイがたは、『癒し』などと言われて芸術の崇高さを貶められたくない、だから認めない。センセイたちにも、もちろん私にも『癒し』という言葉への単純なカテゴライズがあった。
『癒し』という言葉の吟味と共通理解のためにもっと議論できたら双方の実りは多かったのではないかといまとなってはもったいない。
美大生は、サンプル数が少ないながらもアンケート結果を用意して来た。それによれば、70パーセントの人が、震災後、アートに『癒し』を求めている。
震災の後、自分は何をなし得るかと真摯に考えた若者たちは、このシンポジウムで何かを得られただろうか。
絵を描くことしか出来ない、という無力感から生まれた自問なのだから、もしも彼らの絵を見て『ほっとする』というひとがあらわれたのなら、それで十分ではないか。そのときのその『ほっとする』を『癒し』という記号でくくりさえしなければいいのではないか。
ところで、先の池田龍雄氏は、『癒し』を否定しつつ、アートは無力などではないと断言した。
芸術は癒すものではない、病人を相手にしているのではない、アートに力があるかないかなど愚問であって、あるに決まっている、なぜなら生きているのだからと。
この高名な老芸術家に私は初めてあったが、贅肉のないまっすぐな肉体を持ち、お金や権力や名声といったものへの執着を感じさせない、おだやかで純粋な目をした知的な方だった。青年のような印象だった。お目にかかれてよかった。もう一回と望んでもそれがかなうかはわからない。