2月某日
大学時代のサークルのOB会が静岡で開かれて泊まりがけで出かける。
高校時代の同級生に今美術をやっていると言うとものすごく驚かれるのですが、今の美術の友達に大学の時は山登りしてたというとさらに驚かれてしまう私です。
私の事を『お前!』か旧姓の呼び捨てで呼ぶ元山男たちはもうすっかりいいおじさんになっていました。それぞれの家庭や仕事での役割が垣間見られ、当然ながら私とは全くちがう世界に生きている事は感じたけれど、あのころと変わっていない何かは確実にあって、この人たちと若い日々を過ごしていたことをつくづくかみしめました。
昔のように馬鹿げた飲み方も荒唐無稽な芸も実はもう出来なくて、でも山の歌はみんなで歌って、翌日は久能山へ車とロープウェイで行くと、眼下には青く美しい太平洋が広がっていました。こんなきれいな風景の中に私たちはいたんだね。
大学からここまでの6キロを走ってこの急で長い階段を上って下って時にはボッカもして(注/ボッカとは人を肩車して階段の上り下りするトレーニングです)また6キロ走って戻ったんだ、もうとても出来そうもない。
大学に行ってみようと誰かが言っておじさんたちとふたりのおばさんは部室棟を訪ねたりキャンパスを歩いたりしました。
静岡の光と空気はやわらかくておだやかであたたかい。同じ静岡県でも浜松との違いは大きい。
この光と空気の中で過ごした4年間についてまともに振り返った事はなかったことに初めて気付く。
今の自分を肯定できる根拠のいくつかは、もしかしたらあの太平洋の青さやこの光と空気、愚直でやさしかったこの仲間たちにあるのかもしれないとわたしは突然わかった気がして、すこし控えめだけれど確かな嬉しさがこみあげてきたのでした。
山岳部の部室ドアにはこんなかっこいい写真が、、。