お盆日記
8月11日
初盆なのでお上人様の読経がある。実家は創価学会でない方の日蓮宗だ。
帰省すると盆棚が既にセッティングされていた。この盆棚の仕様は私が幼い頃から変わらない。(というより、この家が本家から分家した江戸時代の終わりの頃から変わらない、らしい)笹で作った櫓(やぐら)、そこに幾種類かの作物をはざにかけて供える。まだ青い柿、まだ青いみかん、十六豆、葉生姜、稲、ほおずき、などなど。
櫓の内側に台を置いて専用のゴザを敷き、そこに、帰ってきた仏たちのために一膳ずつ食事が用意される。今年は、これまでの先祖たちのお膳に加えて、あたらしく、父の為のお膳が増えた。これまでは、お盆も先祖も遠いものだったが、今年は逝った父を初めて迎える特別なお盆となった。
仏たちに供える食事のメニューはお盆中だいたい決まっている。毎日特別な料理をして、カワラケと呼ばれる小さい食器にめいめいに盛りつけておまつりするのが子どもの頃は楽しかった。カワラケはどれも古くて磁器のものと陶器のものが混在している。幼い頃の記憶と重なる。大きさは絵の具の溶き皿の最小サイズといった感じ。
仏たちを連れてくるのは牛と馬で、それぞれ、なす、白瓜を本体にして、目は小豆、尾はトウモロコシのひげ、耳は南天の葉、足は葦の茎でそれらしく制作される。牛と馬の位置も棚の中で決まっている。
8月12日
11日は読経だけに付き合って、12日の夕方また戻ると、お前がいない間にも多くの参拝客があって忙しかったのだ、大変だったのだと母。
親戚の目、本家分家の目、近所の目、そうしたものが何よりも気になり、浅羽家の初盆を万端遺漏なくとり行うことが今の彼女には最重要である。その価値観を尊敬することはできないが、彼女が今一番大事に思うことならば、できるだけ手伝おう。夫を亡くし送り、そしてもう迎えていることを、実感する余裕も持てないでいる。それは私たち子どもも似たようなものだが。
霊御膳の片付け。立派な漆器だね、価値ありそうじゃん、とはしゃぐ娘に、これは私が嫁いで50年、大切に、傷も付けずに扱ってきたのだ、先祖のものなのだとたしなめる母。こういうものを守ってきた人生だったのだ、それはそれで大変だっただろう。
深夜まであんこを煮たり、オヒラとよばれる煮物をしたり、さまざまなことを手伝う。
8月13日
初盆初日。
午前5時起床。上新粉をこねて蒸して母とだんごをつくる。ピラミッド型につみあげて、三段盛りと呼ばれる供物の棚の最上段の左右にそなえたり、あんことあえて仏たちのカワラケによそったり。積みだんご作りはかなり楽しい。(パーフェクトなピラミッド完成!でムスメはにんまり)
今ではあそこの嫁もここの嫁もだんごなど作らず買ってくる、とひとしきり他家の嫁の悪口を言い、私は一度だって横着をしたことはないとまた母。だんご作りって結構楽しいじゃん、とたまに帰る次女は気楽だ。
仏たちのお膳は八つ。六つが先祖のものでひとつが父であとのひとつは餓鬼仏といわれる仏のもの。無縁仏や祀られなかった『畜生』たちも盆には戻ってくるので、その仏たちにも食事を用意するのだ。餓鬼仏のお膳だけは、棚の上でなく、畳のうえにじかに置かれる。そのとなりに、里芋の葉を広げて賽の目に刻んだ茄子を盛る。これは牛と馬の飼い葉という意味。里芋の葉は形も色も質感もすべて好きだ。
初日(13日)のメニュー
朝、ご飯とみそ汁 昼、落ち着きだんごとお茶 夜 ご飯とお汁と各家庭のごちそう
夜、S市のギャラリーで何かイベントがあるというので外出。作品を買っていただいた
のでそのお届けもかねて。
エコアートであった。アメリカ人の。
申し訳ないけれど、さっぱりリアリティを感じられず、興ざめした。
実家の、仏壇の前にしつらえられた盆棚、この特別に霊的なスペースの方がはるかに人の魂と生活をつなぐエコアートに思えた。いや、エコアートといったコトバは軽すぎて、アートそのものさえもなにかぺらぺらなものに思われて来てしまった。
帰宅後、翌日のぼたもちの準備。