アトリエを片付けていたら古い美術手帖がどっさり出て来て面白い。
どさっと積んであるもののうち90年代のがひとまとめになっていたので、それを上から読んでいる。
先日見つけた1996年2月号の特集は『かわいい』だった。
最近友達になったわかい人が修論の研究テーマは『カワイイ』だと言ったのを聞いたばかりだったので、私はかなり反応してしまった。
この時代はまだひらがなで『かわいい』んだなと思いながら読む。
『かわいい』のポリティクスが巻頭から始まっている。
以下引用。
「かわいい」の世界は
さかさまの世界だ。
弱いものが力を持ち
強いものを従わせる。
「かわいい」の世界では
醜いものが美しくなる。
小さいものが大きくなる。
恥ずかしいものが大切なものになる。
恐ろしいものが愛しいものになる。
死んだものが生を受ける。
(引用終わり)
奈良美智の初期作品がすでに紹介されていて、それはそうだろうと思うが、ヘンリー・ダーガーが「かわいい」のカテゴリーにはいっている。椹木野衣がそのダーガーの解説をしている。
デザイナーの原研哉だったかが、自分はかっこいいデザインはできるがかわいいデザインはできないと書いている。「かっこいい」の反対は「かっこわるい」だが、
「かわいい」は「かっこわるい」が姿を変えたものだと言い切っている。
読んでいると、このころの「かわいい」にはポリシーがあるらしいことが伝わってくる。
きょうびの『カワイイ』は、ではどうなんでしょう。
草間彌生は『カワイイ』らしい。少し前は『キモカワイイ』だったけど、最近は気持ち悪い事も怖い事も若者たちは『カワイイ』って言ってるように聞こえる。
でも私にとって草間彌生は別にカワイクない。かわいく演出されてるなとは思うけれど彼女の本質を『カワイイ』って言っていいのかな。
離人症という精神疾患と折り合いを付けて生きていくために草間には美術が必要だった、その切実さから生まれた作品についての評価が『カワイイ』では矮小化し過ぎではないかと思ってしまう。でも草間彌生展は『カワイイ』ものをみたい人が押し掛けているそうだ。そして草間彌生をカワイイって言えない人は古い人とみなされてしまうらしい。
私の中の『カワイイ』への評価は低すぎるのか。。
でも『かわいい』ならまだしも『カワイイ』は、ひとまとめに過ぎる感がある。
もっとこまやかで丁寧な表現はないものかと思ってしまう。
やっぱり古すぎるのだろうか。といって改めるつもりはないのだけど。
(ところでくだんの美術手帖を19才の女子数名に見せたところ全員が『カワイイ〜!!』と即座に叫んでいました。『かわいい』と『カワイイ』に違いはないのかしら)
(それからね、おばさんたる私にとってだって『可愛い』ものはいっぱいあります、可愛かったから買っちゃったなんてしょっちゅうです、なにより私は『可愛い』おばあさんになることを目指しているおばさんですし。)