古い美術手帖の再読を始めました。
美術手帖なんて読んで何になる!とか、そこまで強い言葉でなくとも、美術手帖ってもう随分読まないなあとおっしゃる美術家の方はとっても多いけれど、そして私も、他者の表現についてよりもまず自分のことだ!と息巻いていたこともあったのですが、とにかく私は知らないことが多すぎるので、買ってもほとんど読まずにいたこの専門誌をひもといてみようと思いはじめたこのごろです。それに、自分が新しいと思って始めた表現を実はすでに誰かがやっていたということにも気付くかもしれません。ほかにも未来の自分のためになることがありそうに思えます。
私が持っている美術手帖で一番古いのは1981年のものですが時系列で80年代からはしから読むのはきつそうなので、気まぐれに手に取って読みはじめました。
それが23年前の1990年7月号。アートのことば特集でした。
以下雑感。
谷川渥さんは若い頃からすごい人です。
『インタラクティブ』はもう使われていたのですね。
『表現の零度あるいは現象に潜む非線形』という本田三章氏の論考は現在のわたしのドローイングの行方へのひとつの答えを示してくれていたかもしれません。古くて新しい課題ということです。
掲載レヴューでは、ジェイムスタレルがNYでデビュー、ソフィ・カルがシベリア鉄道にのって日本に来ました。
82年に一人で長くヨーロッパに行った時、母に『シベリア鉄道で行けば楽しいんじゃない?2,3ヶ月かけて』と言われ、『この親おかしい』と思ったけど、それをやっていたらソフィ・カルにさきがけられたかもしれません。私だってライン川のほとりでほぼ毎日恋人に手紙を書いたりしていたのだから。
僭越にもほどがありますが、ソフィ・カルと自分との距離を考えたという訳です。
国内では薮内美佐子さんが関西でよい発表をされていました。ダムタイプについてちょっとわかりました。