静岡市美で開かれている「はじめての美術 絵本原画の世界」展に行きました。
絵本原画展はこれまでもその気にさえなれば行く機会は何度もあったのですが、いつもなんとなくまあいいかやめておこうで終わっていました。
それなのに今回は母の世話の合間をかいくぐってでも行こうとしたのは自分の中で表現というものをもっとフラットにみたいという思いが強くなってきたからかもしれません。
実際、絵本はハイアートの下にあるサブカルチャーであるという決めつけは自分の内にも外にもあったかもしれないのですが、その、無用の格付けが見事に覆された今度の展覧会でした。
展示されていたのは、ほとんどが、子育て中に何度も何度も繰り返し読んだ絵本たち、小学校で読み聞かせボランティアをしていたときによく使った絵本も。
子どもを連れた若いお母さんたちは、自分と子どもの共同絵本体験を確かめ照らし合わせて作品を見ていました。
でも、そんな見方でいいの?もったいない!とこころからおもいました。
それだけ、作品は珠玉のものばかりでした。
林明子の『はじめてのおつかい』
定番だし、子どもたちも好きだから読んでいた絵本でした。でも原画を見ると本当に驚きました。構図もパステルの扱いも細部の描写も完璧です、ページをめくって見られてしまうとわからない絵の本質があるのでした。
長新太の『ごろごろにゃーん』
絵本で見ていた絵はすべてトリミングされていたことが原画でわかりました。全体図の方がずっといいとおもいました。原画にはあの飛行船独特の世界と空気がありました。ペンと色鉛筆の繊細さにずっと見入ってしまいました。
長新太は全部好きです。父と同じ生年で亡くなった日も同じでした。だからどうということはないのですがふたりはあまりにも両極端で、厳しすぎる父親が苦手だった私はいつも、自由とユーモアの長新太がおとうさんだったらどんなによかったかといつも思っていました。でも、案外繊細すぎて仲良くなれなかったかもしれません。原画を見てあらためておもいました。意味のない妄想ですが。
山本忠敬『しょうぼうじどうしゃじぷた』
数えきれない程よんだ絵本です。ほかにも『図鑑じどうしゃ』とか、山本さんの絵本には3人の息子たち本当にお世話になりました。
原画で伝わって来たのは涙しそうな程厳格なリアリズム。完璧な仕事ぶりにただただ圧倒されました。
今回展示されているほとんどの作家が、本業は絵本ではなく画家や彫刻家などのファインアーティストたちです。みんな本業では稼ぎが不十分だから絵本のしごとをしたのだろうと想像がつきますが、絵本の制作と自分の芸術を隔てないで渾身の表現をしていることに胸を打たれます。子どもにおもねらない表現こそがこどもたちへの最大で最愛のプレゼントなんだと胸を打たれます。
カタログより、『ごろごろにゃーん』です