映画『利休にたずねよ』を見ました。
映画館に出かける元気が全くなかったこの3ヶ月。昨日あたりから急に行こうという気になり、さてそれでは、と空いてる時間と上映スケジュールを照らし合わせてみたのがこの映画でした。
とても美しい映画でした。桃山文化も視覚で伝わって来ました。
ただ、等伯の小説を読んだばかりで、利休像は私の中ではある程度庶民的なものだったので、映画の利休には少し驚きました。信長も秀吉も石田三成もイメージ通りだったのに、利休だけが違っていて、あんなにストイックな美の求道師だったのか!と。
もちろん、この映画は美について描きたかったのです。茶道の美にとどまらず、人の愛し方における美とか、人の死に方における美とか、そういったものも
主演の市川海老蔵はそうした崇高な美を表現し得る人だったのか、そのあたりにすこし違和感がありました。美しい生き方をしていなくても美を表現できるのが役者だというなら、彼には相当なプロフェッショナルであってほしいし、それに挑戦していることはすばらしかったけれど、今度の作品は成功したのか否か。
それは翻って、役者以外の表現者にも言えることなのでしょう。
生き方が作品に反映すると思っている私はもしかしたらまだアマチュアかもしれません。
美しい生き方をしていれば美しい作品が生み出せると思うだけなら、それは案外たやすいかもしれず、その結果生み出したと思っている美しさはぺらぺらかもしれません。いやそもそもその美しい生き方の美しさの定義が問題です。
美とはもっと深く大きく暗いものでもあるのか。きっとそうなのでしょう。利休はそれを知っていたのかもしれない、海老蔵はさておき、そのことを考えさせてくれた映画でした。