資生堂アートハウスに行きました。掛川駅にちょっと行く用事があったついででした。
掛川駅から約2キロ、20分ほど住宅地を歩くと広い敷地に美しい建物が見えて来ます。
収蔵品の版画展をやっていました。
李うーふぁん、百瀬寿、浜口陽三、、有名どころがたくさんでした。
青木野枝の木版を初めて見ました。私はこの人の、まるで詩のような鉄の造形が好きです。
先日、カスヤの森で吉沢美香の版画を見た時も思いましたが、別のジャンルで名をなした人が版画をやるのは生活の為だったりするのでしょうか?それとも純粋に、版画で表現したいものがあったのでしょうか?
それとも本来のジャンルの制作を再考する為のある種の思考としての表現なのでしょうか?
青木野枝の木版は鉄の造形のあのぎこちない円形の連なりを平面にしてありました。
青木野枝の版画で感じたようなことを全く感じさせず、版画としての存在感そのもので圧倒している作品がありました。
辰野登恵子です。
私は、辰野登恵子のあの巨大な抽象作品がずっと好きです。版画をやるなんて知りませんでしたが、辰野登恵子の版画は、タブロー作品とは全く異なるものでした。辰野登恵子はタブローの世界と版画の世界の二つを持っているんだなと思いました。
2011年の東京の資生堂ギャラリーでの個展の図録を売っていたので求めると、私が感じたことがちゃんと解説されていました。もともとは版画の人だったのですね。その個展で発表する版画作品を刷る為にわざわざパリの工房へ出向き一ヶ月滞在したとありました。パリの工房での在りし日の辰野さんの姿が載っていました。
図録には、500号のタブロー作品の写真もありました。
あくまでも『抽象』にこだわるその姿勢。
つねに聞かれる『なにを描いているのですか?』の質問に『私はものを描いているのではない。ことを描いているのだ』と答えたとありました。
『なにを描いているのですか?これはパスタですか?あれは積み木ですか?』といわれても不思議はない図像なのに、なぜこんなにも人の胸を打つのだろうと、彼女の絵の前ではいつもそう思ったことを今日は思い出しました。
図録を見ながら、からだの内側から、こころの真ん中あたりから、『納得の行く強い作品を作りたい』、そう思えた今日でした。