京都日記
6月×日
琵琶湖疎水。
昔から琵琶湖につながっていたのでしょうか?今は人口の用水路の趣。でも、ほとりはとても美しい。五月の初めに歩いた時は葉桜の緑。桜の時はさぞやと思う桜並木。そして今回は、楓の緑。秋にきたらきっと美しい紅葉だろうと思ったけれど、薄い楓の葉のすきとおる黄緑も奇麗でした。次男が一緒に歩いてくれました。彼とそんなことをしたのはいったいいつぶりだろうと思いました。ダメ元で誘ったら思いがけず応じてくれたのです。何か特別なことを話した訳でも、ふたり仲良く景色を愛でた訳でもなく、ただ疎水のほとりを黙って歩いただけなのですが、とても良い、静かな時間でした。まるで奇跡のような。
京都芸術センター
アラヤー・ラートチャムルーンスック展
90年代後半のアラヤーさんの作品は知っていました。
病院の霊安室で死者に向かって詩の朗読を続けるというものです。
1999年、グループ展でバンコクを訪れたとき、お世話になったパリンニャ・タンティースクさんからその作品のことを聞いて以来、ずっとアラヤーさんのことがこころのどこかにありました。
そのアラヤーさんが京都に滞在して制作しその作品を発表していると知りました。
詩の朗読の作品にふれたとき(記録集をいただきました)、この死生観はわたしたちアジアのものだと思いました。
そして、今回見た作品も同じ気持ちになりました。
老人ホームの高齢の人たちの映像。淡々とだけれど美しい映像のコラージュで。
空き瓶に入れられた、共に暮らした15頭の犬たちの毛と犬たちの写真、手書きの名札、その瓶のインスタレーション的展示。
「生きている命も死んでいる命も同じ空間に存在する」というアラヤーさんのことば。
死と再生といったキリスト教の世界観ではないことに、救われる。
死と生の境界は曖昧で、だから今はこの世にいない犬たちも身近なのでした。
芸術センターの三つの空間のなかで静かに流れた時間。
亡くした犬たちのことをすごく自然に思い出すことが出来ました。芸術がそんな役目を果たすことができるのですね。
2人展「うさぎの革命」
筧有子さんと上野ちかさん。
ここにも静かな時間が流れていました。
京都市水族館
立派な建物でしたが中身も充実。
魚たちを間近でみられる展示の工夫は、天保山の水族館や旭川の動物園の成果の波及でしょう。
楽しいしリアルで面白い。
くらげの部屋がものすごく美しかった。
関西に行くからには会いたいひとは何人かいますが、今回は、ふたりの息子たちにそっと連絡しただけで一泊二日で戻りました。
すべていい時間でした。