浜松市美術館でエリックサティとその時代展を見ました。
Bunkamuraでやっていたものの巡回展ですが、浜松国際ピアノコンクールにぶつけての展示のようです。
私は教えている高校生たちと年に一回美術館へ出かけているのですが、その下見の意味で行きました。
初日の午前中に行く!と思いながら行ってみると、人も多く、TVの取材があったりで、活気のある浜松市美のすがた久しぶりに見ました。
サティと言えば、私の20代と重なります。80年代によく聞きました。当時、新しい音楽という印象で聞いていたので、1869年生まれと知って驚いた今日です。
あの、詩のような、絵のような音楽しか知らずに出かけた訳ですが、展覧会で、サティがどんな人だったのか、当時のモンマルトルでの芸術家たち同士の交流がどういうものだったのか、などがわかりました。
何より、手書きの楽譜が、とても美しくて、美術作品と言っていいと思いました。
楽譜を見ながらメロディが自然にうかぶ才能があったらよかったのに!!
と思う私のような音楽の才能に乏しい人向けの映像ルームもありました。
楽譜の中に書き込むことばもまた音符のようでした。
ピカソやロートレック、マンレイ、シュザンヌバラドンたちとの交流、1910年代のパリってすごかったんだとあらためて感慨深かった
古い話ですが、私の修論は1914年のパウルクレーの作品についてで、横断的に同時代の作家をかなり緻密に見ていたつもりでしたがまだまだ知らないことがありました。というか院生だった当時にサティをけっこう聞いていたのにそもそもサティがその時代の人だったことを知らなかったとは!!
展覧会はサティの人となりもわかる仕組みに企画されていて、企みや計算とは無縁の、純粋で融通の利かない万年青年エリックサティが現れて来ました。
個人的なこだわりや趣味、わずかな差異にもこだわる几帳面とひたむきが、あの音楽にどこかつうじていました。恋には純情で、百戦錬磨のバラドンとたった半年付き合っただけで一生涯独身と言う不器用さ、そういう人だったからこそ残せた作品なのかなとも思いました。