少し前のことですが、重度の障がいを持つ息子さんを育てている方が、自分の生きるエネルギーのみなもとは怒りだというようなことをおっしゃっていました。言葉が正確ではないかと思いますが、社会への怒り、それが自分の人生の基本だということを繰り返しおっしゃっていました。
障がいのある人が生きやすい社会では決してないことを少しは知っているつもりなので、その方の気持ちは共感できるものでした。
でもすこし違和感は残りました。
自分の中でいちばん上にあるものが『怒り』であることに対してです。
どんなに障がいが重くても、そしてたとえそのことに伴う苦労が甚大だったとしても、子どもの成長によりそう親としての幸せや悦びがその方にもあったのではないかと私は思います。
だとしたら、いちばん上にあるものは『怒り』ではなく『愛』であってほしい、そう思いました。
少なくとも私は、自分の基本が『怒り』ではなく、『愛』だと思いたい、いえ『愛』ですと言い切りたい。。。。
こうしたことをここしばらく考えていたので、今日カゲヤマで丹羽さんに会ったとき、この話をしてみました。
丹羽さんは即座に言いました。
『あなたはそんな二元論でものごとを考えているのですか?!』
そしてそれから続くことは、私は何のために芸術などというものをやっているのか、というモンダイ。
『愛か怒りか』ではないのでした。
愛も怒りもそのほかも、、でした。
芸術とはそういうものであって、だからこそ私はそういうものを志しているのでした。