港千尋 『芸術回帰論』を読む。
311後に浮び上がった現代文明の問題についての断章。
理系でも文系でもない芸術系というカテゴリーの提唱。
たとえば自分が使うものは自分で作る、そのあり方が最も新しい。
それはかつてクラフトの人たちが目指していたような桃源郷のようなあり方でなく。
そして港氏は写真の人なので写真論の部分がやはり面白い。
紙に定着された像=写真は現実なのか、ということに触れている部分。
自分の体験に引きつけて実感しました。
2011年8月、私は岩手県大槌町で震災ボランティアをさせてもらいました。津波で全てがなくなった町の避難所の近くで、お祭りの準備をするというので、とうもろこしを焼くおばさんとしてお手伝いさせてもらいました。
当時震災ボランティアは遠野に集結していてそこからバスで、さまざまな被災地に振り分けられて向かいました。がれき撤去の作業ができる夫や息子たちはその方面へ、私は、炊き出し要員で、家族とはなれてバスに乗りました。
山のみちを走ってやがて海の近くの風景が開けて来たとき、全身に電流が走り鳥肌がたちました。
津波ですべてがなくなった風景が急に現れたのです。
言葉を失いました。
カメラを持っていましたがどうしてもその風景に向かってカメラを向けることが出来ませんでした。
バスから降ろされて自分の配属場所に行っても、やはり、撮影はできませんでした。
その行為を押しとどめる何かがありました。
だから、2011年8月岩手県大槌町でみたものは私の記憶の中でだけ存在しています。
私にとっては、とてもシャッターをおろせなかったと思わせた現実こそが圧倒的で、写真になっているものはすでにものすごく薄まっています。
以来、写真作品を見ると、その写真は、そのときの100%のリアルではなく、すでにカメラを仲立ちにしてイメージ作りをしているその撮り手の意思と言うか創意と言うかそれが加わっていると言う自明すぎることがやたらクローズアップされるようになりました。
だからこそ、写真が作品であり芸術たる所以なのですが、この本を読んで、あの時の自分の、自分だけの感覚がよみがえりました。