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1月30日
金座ボタニカ2階 カフェスペース 15時から17時 佐藤俊雄さん(飯舘村生まれ現在福島市に避難中)港千尋さん(写真家著述家 愛知トリエンナーレ芸術監督)を静岡にお招きし、飯舘村のこと、いいたてミュージアムのことを話しました。 まず私から、福島とのつながり、飯舘村に行ったこと、そしてミュージアムをみて思ったことを話しました。 あの、フレコンバックの切ない除染風景について。ミュージアムという名の箱の無い展覧会とその展示品について。なぜこのありふれた日常のものが展示物になったのか。それはさながらSFの世界のようで。 佐藤さんは、まず飯舘村の美しい四季をスライドで見せてくれました。そして今の現実。 飯舘村の歴史を知れば、100年というスパンで再生を重ねて来たということがわかり、しかし、今は放射性元素の半減期のスパンで村の歴史が語られる。。。 67才の佐藤さんの口から、フレコンバック、セシウム、半減期、という単語が出てくることもまた、SF映画のようで、、、。 港さんはミュージアムの可能性、ミュージアムの意味について投げかけてくださいました。 文化財の意義をくつがえすいいたてミュージアムなんだということ。 古いもの、大切なもの、歴史的なもの、そのコレクションとしてのミュージアムであるという定義と実際の展示物のあいだにあるものが圧倒的すぎる、むごすぎる。そしてこのむごさから始まる思いがある。 このトークを聞いてくださった方からのメールを引用いたします。承諾済み。 <以下引用> 飯舘についてはいろいろ考えました。 若い人が戻ってこなければ復興はない、小中学校を戻すのもその一環、という理念も分かる。 その一方、放射線に最も敏感な子供たちから曝すってのはどうなのか、っていう懸念もとても大きい。 おためごかしの除染なんかでは土地は、農業はまったく戻ってこないだろう、という不安。 それ以前に除染が予定通りの日程と効果で完了するかどうかも怪しい。 除染後の飯舘産の農作物・酪農品の商品性(つまり一般人が買うかどうか)は全くの不透明。 除染で大丈夫だ、というなら農作物は政府が買い取って売って下さいよと。 それができないんなら除染は大丈夫じゃないのでは? 避難地域解除は政府と東電が「なかったことにする」あるいは「事故の現実を風化させる」 ためにやるのであって、住民を思いやってではない。極論すれば、とりあえず今の線量なら 人間は生存できる、ということを示す人体実験をさせて既成事実を作りたいだけともいえる。 なしくずし。 避難を解除しても、生存が可能であると仮定しているだけで、人間らしい暮らしができる環境が整ったわけではない。 よほど土地に愛着があって仕事のない老人しか帰らないのは当然の結果ではないか。 生計が立てられ、健全な暮らしができる環境を整えてから、ご迷惑をかけた、お戻りください、 となるのが当たり前の話。それがごく普通の当り前の損害賠償。自然災害じゃないのだから。 何の罪もない飯舘の人たちがこんなひどい目に遭っているのに。 村民全員のためにその環境を揃えるのが不可能なことが見えちゃったので(つまり損害賠償は しませんよと決めたので)、なしくずしでもう帰っていいよ、あとは自分たちで何とかしな、 と言ってるように思える。まったくひどい。 (アメリカだったら集団訴訟すれば賠償責任を命ずる判決が出そうだけど、日本では難しいでしょうかねぇ。 被害者が多すぎるし。ってほんとは被害者の多寡と責任は関係ないはずだけどね: これは余談でした) 港さんのお話でもあったように、飯舘の再興は100年単位の事業なのかも、と思う。 飯舘の冷害の歴史、人口の大量減少と移民の歴史を考えると、再び長いスパンで歴史を 新たに作るフェイズなのかも、と思ったりもする。 それこそ特に明治以降、日本人は興亡を短いスパンでしか考えられなくなったような気がする。 変な話ですが例えば「天使と悪魔」とか「フーコーの振り子」の小説でテンプル騎士団が 1000年単位で歴史を書き換えようとしているとか、サクラダファミリアが工期300年を 予定していた、とかそういう長いスパンで考える問題なのかもしれない。 少なくとセシウム137の半減期30年が一区切り。それを単位に考えるべきなのかもしれない。 イスラエルに肩入れするつもりは毛頭ないですが、ユダヤ人は2000年間放浪の民だった、 それに比べれば100年は短いのかもしれませんよ。 自分が生きている間には復興は成就しないかもしれない、でも将来の夢は持っている、 子供が、孫が叶えてくれるというのが今の飯舘を生きる人の幸せなのかもしれない。 ちょっとさびしいけれど。 引用終わり とりあえず今日はここまで書いて終わりにします。 まさに勉強会でした。
by hisakoinui
| 2016-02-02 01:42
| 展覧会報告
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