井上有一をみた
『貧』と書いて、なぜこんなにも強くゆたかなのだろう。
両足をふんばって立っている。卑屈はかけらもない。
『花 』はあたたかい。花が咲くとはこういうことだと思った道端の花たちを思った
『母』 はどうしてこのかたちなのだろう 井上有一のおかあさんはどんな人だったのか
『風』をずっと見ていた ずっと見ていられたし見ていたかった
『心』は一本まっすぐだ
どうやったらこんなふうに清らかに直截にぶつかっていけるのかなあ。
いろんなものを捨てたくなった。
それにしても
文字は思い出させる
自分のまわりの人たちの文字 まわりのひとたちのこと
母の文字 弟の文字姉の文字 夫の文字 長男の悪筆 次男の理系文字三男の左利き舅の達筆姑の理性 小春の繊細 水田先生の年賀状 長久保君の般若心経 活郎くんの封筒のあて名 吉本さんのレポート紙しのぶさんの手紙 ともちゃんの短文 美智子さんの縦書き小嶋さんの横書き恵子さんの走り書き葉子さんの右下がり世津子さんのドイツ語
文字というモノが伝え続けてくれたことを井上有一が思い出させてくれた
文字は、生きていることを礼賛するものなんだ。
生誕百年井上有一 金沢21世紀美術館 3月21日まで
今日しか来れないと思い詰めて新幹線としらさぎ号を乗り継げば金沢といっても日帰りの距離。訪れて良かったと思う。
美術館の帰り、循環バスを途中下車して犀川のほとりをひとり歩く。
くじびきドローイング、福島の展覧会、いいたてミュージアム、いろんなことがありすぎてなかなか整理できなくて、往きの車窓では涙がこみ上げて来て困ったが、犀川の流れが、私の心を少し整えてくれたと思う。まとめのことばを書いて行きたい。