折口信夫 『死者の書』再読
當麻の二上山を舞台にひろがるシュールな世界。中将姫の命日5月14日に読了しました。二度読んでようやく深まりました。
平田オリザ
『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書 2016
現在の日本は
1、もはや工業立国ではない
2、もはや成長社会ではない。
3、もはやアジア唯一の先進国ではない
経済も人口も右肩上がりの活気溢れる社会はこの国にはもう来ないという現実について、それではその現実にどう向き合うかどう処したらしあわせか、を、文化をキイワードに演劇人の立場で書いてありました。
T.カポーティー『誕生日の子どもたち』村上春樹訳
私の最も好きな児童文学作家フィリパ・ピアスの世界に似ていると思ったのは、子ども時代のことを作品にしているからというのもあったと思うが、なによりも子どもを描くその表現の繊細さとやわらかさがピアスのようだった。でも児童文学とは異なるのは、ハッピーエンドではないということだった。冒頭から少女がバスに轢かれて死ぬシーンから始まりそのシーンで終わるおはなし。子どもが死ぬ話はなんとしても嫌な私ですが、これはちがいました。文学はこのようにして、10才の少女の死を描くのかと。もちろん主人公はこの少女ではなく少女に恋している少年ですが。
この村上訳があまりによくて、というか村上文学の世界そのもののようで、本当のカポーティーの世界はどうなんだろうということも思いました。原文で読む英語力がほしいと切実に思いました。
T.カポーティー『遠い声 遠い部屋』 河野一郎訳
くらべてみると圧倒的に村上訳がのめりこめるのでした。
高橋源一郎×SEALDs 『民主主義ってなんだ?』
奥田君ってこういう人だったのか、彼にはこういう相棒がいたのか、SEALDsってこうやってできたんだね、民主主義が多数決じゃないことがこんなにわかりやすくかいてくれてあるよ、など。
ギリシャの民主主義では、いろんなことはくじびきで決めたとあった。代表とか役割分担とか。
くじびきが一番公平で、その前提には民度の高さがあった。だれでも政治家になれる。
そしてくじの運命は絶対だ。
なんだかくじびきドローイングのようで嬉しくなった。
だれでも描けてだれでも生み出せる、しかも思いがけない表現やことばが生まれる。。
高橋源一郎『ジョンレノンと火星人』
彼の処女作。
ポルノグラフィーや暴力やそのほかさまざまな社会的タブーに満ちあふれている。
文学への挑戦状?
傑作だと思いました。
宮本百合子『ケーテ・コルビッツの画業』
ケーテ・コルビッツの生涯がわかりました。でも彼女は何と闘っていたのだろう。
そして宮本百合子の文章読むのは学生時代以来ですが、教養とは愛のことだと思わせてくれました。
岡本太郎『沖縄文化論』
返還前の沖縄の姿。
そして今も変わらぬ沖縄の姿。
御嶽のこと。八重山の舞踊のことetc
日本文化の深層に触れた思いだ。
岡本太郎のことばの輪郭線は強烈。
長谷川佑子『アートは人を自由にする』
いろいろおもしろかったけれど、才能、ということばに強く反応しました。
運も出会いも才能だと言い切っていて、それが妙に腑に落ちました。