6月1日
デザイン専門学校の4限目の授業を定刻で終わらせ電光石火の早技で新幹線に飛び乗って名古屋駅太閤口から桜通りまでは小走りでそしてようやくZEPPU NAGOYAに着いたなら開場を待つ人たちの長い列が出来ていました。
小沢健二のライブ。
フリッパーズギター、コーネリアス、そして小沢健二の音楽に出あったのは90年代の後半でした。
リアルタイムより少しだけ時間差があったと思います。
99年、当時20代の人たちとバンコクでグループ展をして、みんなでアユタヤを車で回った時。
メンバーのひとりが日本から持って来た唯一のカセットテープはフリッパーズギターで、アユタヤの風景とともに一日ヘビーローテーションして聞いた思い出があります。
そして、98,99,2000年ごろまで、オザケンは私にはちょっと特別な存在でした。『LIFE』も『犬は吠えるがキャラバンは進む』もよくきいたけれど、同時にたくさんの音楽、とくにロックにはまって行ったときでもありました。古いロックをおさらいするように片っ端から聞いていました。
自分の作品の方では、ギャラリーKでの東京デビュー。なぜあんなにもムキになって大作を制作し続けたのか、どこにそんなエネルギーがあったのだろうとおもうけれど、オザケンをよく聞いた時期と重なります。
さて、楽しみにしていたライブですが、心配もありました。
もしもオザケンが、過去の曲ばかりを歌ったり、『仕事をこなすように』ステージに立っていたら、行ったことを後悔しそうだったからです。
ディープなオザケンファンならば、もう、生オザケンに会えさえすればよいということなのでしょうが、私が会いたかったのは、過去のオザケンではなくて、過去から今につながっているオザケンだったから。(過去のオザケンを知っているわけでもなく、このライブが初めてなのにそう思っていました)
でもそれは杞憂でした。
オザケンは楽しそうでした。
仕事でやってます、じゃなくて、ミュージシャンとしてまっとうに生きてるんだということが伝わって来ました。
新しい曲が7曲もあって、みんなかっこよかった。
コトバも、こういう詩はこの人にしか書けないなと思いました。すごいな、まねしたいなと。
もちろん、過去の曲はやっぱりよくて、天使たちのシーンのアレンジはすごく素敵で、ドラムス素晴らしかったです。
そして自分の表現と比べてみると。音楽の人たちがやることはすごいなあとも。
こんなに大勢の人たちを、こんなにもしあわせにできるんだと。
かくいう私もすっかりしあわせいっぱいになって最終で帰宅。
しばらくは何があっても『オッケーよ』といってられそうです。