浜松市美術館で開催中の若木信吾展come and goを高校生達と観ました
非常勤で行っている高校でここ数年生徒たちと年に一度、美術館に出かけているのですが、今日は写真展でもあるし、みんなはスマホ、私はEOSを持って、旧軽便鉄道跡の遊歩道を歩いて道草撮影しながら美術館へ向かいました。
さて展示写真は全てポートレートでした。
彼のおじいさん、幼なじみ、有名な芸能人文化人、そして著名なフォトグラファー達。
担当の方の高校生向けレクチャーでは、若木信吾のまなざしは、有名人に対しても、身近な人に対してもフラットだ、そこが彼の写真の魅力だということでした。
フラットという言葉は、上から目線ではない睥睨はない無批判なリスペクトもないということを説明するために使われたのでしょうが、まなざしの質という点では二つの種類の写真には明らか別のものが存在していたように私は感じました。
浜松の田園風景に立つおじいさんや、おそらくは知的障がい者であろう幼なじみを被写体にした時の若木さんは、きっとファインダーの向こうの存在を自分なりのやり方で最大限愛そうとした、被写体に向かって、そして同時に自分に向かって何かを持とうとした、もしくは持っていることを確かめようとした、一方有名な人たちに対しては、何かを自分の中で捨てようとしたのではないかと、私は感じました。
二つの種類の写真は同じものだという説明は、もしかしたら作家自らが語ったものなのかもしれませんが、企画する側はどう感じたのか知りたく思いました。
さて、ポートレートのなかで興味深かったのは、フォトグラファーたちを撮ったものでした。
鈴木理策、石川直樹、細江英公、志賀理江子、倉田精二、、、ら、30人
作品だけを知っていて本人を見たことがないという人が多かったからです。
映像の部門では、そのフォトグラファーを訪ねてインタビューをしている動画がひとりあたり数分ずつ流れていて、こちらも本当に興味深くみました。ギャラリートークでは絶対に聞けない、普段着のことばが聞けました。志賀理恵子、長島有里枝、etc 、尊敬する女性フォトグラファーの日常こんな感じなんだと思ったり。。。
ずっと見ていたかったけれど、時間切れでした。
写真家が写真家を撮ったり取材したりする、、、若木さんはなにか探し物でもしているのか、いや、、もっと大きなテーマがあるのか、ふたつを思いました。
美術館の担当の方が終わりに高校生に感想を求めました。
『写真家のインタビューの映像はとても面白かった。一流の人の考え方に触れるのは勉強になる』と答えたのは、陸上部の短距離エース100mを10秒台前半で走るK村君。すごいなあと感心して聞きました。
『写真家が写真家を撮るのってすごく面白いと思った』と答えたのは演劇部のS木さん。やっぱりひとの振る舞いに着目するんだなあとこれも感心して聞きました。高校生たちすばらしい。
クラス集団は入れ替わりつつでしたが、私は一時間目から6時間目までほぼ美術館にいた一日でした。
長ーくいるとわかってくるもの伝わってくるものがありました。
というわけで、今年度の美術館お出かけ授業の一回目終了。段取りそのほか面倒ではあるけれど今年も、行ってよかったなの一日でした。あとは、道草写真のお披露目スライドショーを次回の授業で。