ミシェル・ウェルベック著 野崎歓訳『地図と領土』 ちくま文庫 2015年
とても面白く読みました。
主人公は天才芸術家ジェド・マルタン。
小説冒頭で彼が描いているのは「ジェフ・クーンズ、ダミアン・ハーストと市場を分け合う」という肖像画の試作。
これは芸術と資本の話なのか、と思いながら読んで行くと、確かにアートマーケットの仕組みが活写されているけれど、ジェドが冒頭の自作品を廃棄するのはすなわち、意味よりも形式に主眼をおく、現代の美術のあり方への批判であることがわかってきます。
ジェドが、写真から絵画そして動画へと表現方法を移行させて行くのは現代の作家の公約数的制作姿勢にみえますが、作品においては形式よりもテーマを上におこうとすることは、時代への答え探しのように感じました。
現代美術の終焉はロマン主義への回帰を意味するのかといった古くて新しい問題が提起されていました。
さてストーリーは、作者であるミシェル・ウェルベックが、本名のまま売れっ子小説家として登場し、やがて惨殺死体で見つけられ、犯人は誰なのかといったサスペンス仕立てに変わっていきます。
殺害現場の様子を知ったジェドは、それはまるでポロックの絵のようだと感想を述べます。ばらばらに引き裂かれた肉体と血の海が描き出したものについてそう描写する芸術家の姿。ジェドはすごいと思ったわたしがいました。
ところで小説にはマチスとピカソも織り込まれていた、ように私には感じられました。
表現者には不可欠なミューズの存在。ジェドのひとり目の恋人は、まるでマチスの妻のようでした。二人目の恋人、その名もオルガはロシア人の才媛で、ピカソのオルガと重なります。ピカソがオルガの存在のおかげで自分の芸術の世界を広げていったように、ジェドもオルガによって芸術家としての成功をもたらされたけれど、ジェドのオルガの方はかろやかにジェドから去って彼女の人生を生きていきます。オルガ、よかったねと思いました。
なんだか羅列的な感想になってしまいましたが、もう一度読みたいと思いました。
何よりも、形式よりもテーマを上におく、ということについてもう一度考えたく思いました。