我が家に子犬のクッキーがやってきてもうじき二ヶ月になります。
二年近く前、二頭目の犬を亡くして、もうこんな辛い思いはしたくないと思い、犬も猫ももう飼うまいと思ったのに、こんな流れになったのは、母や息子たちがすすめてくれたこともそうだけれど、やはり縁(えにし)というようなものなのかもしれません。
それにしてもつくづく犬とは『こども』なのだと思います。
人間にとって一生『こども』であり続ける存在。
本当のこどもは、あたりまえだけれど、おとなに成長してゆきます。
いつまでも可愛い小学一年生でいてはくれず思春期も反抗期もあってやがて親から巣立って行きます。
でも犬は、成犬になってもずっと『こども』のままで、親を慕い親に依存し親に忠実でさえあります。
そしてその『こども』は、ほとんどの場合、親より先に死んで行きます。
こうした存在を愛することは、もしかしたらいびつな愛なのかもしれません。
死を内包する存在を迎えたのに、子犬のクッキーが可愛くてたまりません。
人が人の子を育てることは、まごうかたなく正統な愛情であり未来につなげるという点で人類の歴史に与しさえする行為ですし、孫を溺愛する人たちもまた健全な愛情の持ち主ではないかと思います。
でも、いびつな愛はいけない愛なのでしょうか。
そもそも愛とはいびつなものなのではないでしょうか。
愛は正円でも立方体でもない不定形なものなのではないでしょうか。
友達との関係に悩んだこのごろ、いびつなかたちに変化して来た友情について考えていて思ったことでもあります。
愛することは時にはむずかしいし苦しいことでもあるのだなどといい歳をして思春期ですが
あるいはただ私はそのいびつな愛を作品の中で視覚化すればよいのかもしれません。