1月15日
岡部町のギャラリー未来で、白井先生と道川さんの二人展を見ました。
トークにも行きたかったけれど、さまざまなことで出向けませんでした。
白井先生の作品は、森の中シリーズのドローイングと、このたび初めて拝見するペンと水彩?の小品。
会場内のコンセプト文には、かつてのジグゾーパズル作品と今のドローイングが近づいて来た、といった内容がありました(ことばの表現正確ではありませんが)。ああ、そうなのか、とあらためて作品をみると、腑に落ちる感じがありました。そして、三島での展示がよみがえっても来ました。
ひとりの人のなすことなのだから当然であるし、私には他人事ながらなにか嬉しいことでもありました。
会場にちょうど中村昌司さんがみえて、中沢新一のこと、レビュストロースのことなどひとしきりお話うかがったのち、白井先生の作品についての中村さんの考えをお聞きしました。
中村さんと話しながら、やはり白井先生は絵画の人なんだと思いました。根拠と言うか基礎と言うかそういうものがはっきりあって、それは絵画であるんだなあと思って作品を見ていたら、中村さんに『乾さんのドローイングとはちがうね』とやにわに言われました。白井先生の赤の小ドローイングが見た目私のドローイングに似て見えたせいかもしれません。
どこがどうちがうのか、中村さんは伝えてくれました。
中村さんのことばが、その正鵠を得ているかは、実は全部はわからなかったけれど、高知の展示以来考えていることが、また、はっきりとして来ました。
私はいつも定着したくないらしい。定着しないで動いたりつなげたりのそのプロセスをドローイングと呼んでいて、だから『時間発展』であるのかもしれない。だから、素描よりももう少し作品に近いものといった、一般的なドローイングの定義とは少し異なるのかもしれない、そんなことを考えた今日でした。
白井先生の作品の前で中村さんに会えてとてもよかったと思いました。