2月×日
ニューヨークに行きたしと思えどニューヨークはあまりに遠し、、ということなど全くない現代なのにニューヨークに17年間行きませんでした。(17年前に一度行っています、アートの若い世代の人たちと)
息子たちが全員出払った四年前、(もう子どものことをしなくてよくなったんだから)ニューヨークに行って来なよと長男に言われました。
そうだね、行って来ようかな、と言いながらなかなか行かない私に、お母さんいつニューヨークに行くの?とも言われました。
今のままの(趣味の延長みたいな)感じの作家でいいなら別だけどさ、と付け加えられたりもして。
ギャラリーをやっている友人に『ニューヨークに行ったら、何か新しい世界が開けるかなあ』と言ったら
『若者みたいなこと言ってるね』と言われ少し萎えたりしたのはもう二年前でしょうか。
行くべきだろうなあでも行けないなあと、しのごの言い続けていたのは実は私は根拠なくニューヨークがこわかったのです。
国内はもちろん、ベルリンだってプラハだってバンコクだってひとりで行って来るのになぜニューヨークがこわいのか自分で自分が不思議だったけれど。
その私が、ニューヨークに行くべきだ、ではなく、行きたいなあと自然に思ったのは、高知で、でした。
ひとりで沢田マンションに寝泊まりしていた日々、私のこころは広々と自由でした。沢田マンションという場所も関係があったかもしれません。
高知だってじゅうぶん遠かったけれどもっともっと遠くへ行きたいと思いました。
そうだ、ニューヨーク行こうと、新幹線のこだまに乗るようにして行けそうに思いました。
沢マンの岡本さんや杉本さんたちがNYでの展覧会を経験していたし、沢マンでNY在住作家ナカオカさんとの素敵な出会いもありました。
折しもオフシーズンのNY、信じられないほどの格安チケットがウェブ上に溢れているのでした。
そして年明けに、偶然、旅行積み立てしている友達のマサコさんに出会ってしまいます。その積み立ては、『ちょっとふたりで温泉旅行へ』のノリで始めたものでしたが、ニューヨークという単語にマサコさんは強烈に反応。
そのあといろいろありましたがそこは中略、そんなこんなで、私は、マサコさんとふたり、こだまに乗って熱海に行くような流れで、ニューヨークに旅立ったのです。