二月×日
MOMA
エバ・ヘスを見れたのはよかったと思いました。皮膚感覚を作品にすること。たくさんの女性アーティストが捲まず撓まず今も続けているそのやり方ですが、その無数の営みはエバ・ヘスの存在をさらに強め高めているのかもしれません。
サイ・トゥオンブリ
一点だけありました。
デッサウ時代のバウハウスの記録画像の展示があって、そのなかにクレーがいました。
この写真は初めてみました。
50才くらいでしょうか。ちょっとした驚きでした。
クレーについては実はまだよくわかりません。
若い日になぜクレーのことを研究しようとしたのかということも。
でもそういうことをいいだすとなぜ私は今絵を描いているのかということにもなってしまいます。
クレーの線、あのゲルマン的な線は私の線とはちがいます。
私は表現する人としてシンパシーを感じていたのではないのだと思います。
学ぶ人として、分析する人としての私がクレーをその対象に選んでいたのだと思います。
その対象として彼はすばらしい画家であり、研究には表現とは異なる創造性が必要であり、それによって生み出された成果は表現程直接的ではないかもしれないけれど確かな強さを持って社会の中で価値を生み出すのだと今ならはっきりとわかります。あのころは、わからないまま勉強していました。
アトリエにあるクレーのレゾネをもういちど開きたくなりました。できることならベルンにもういちど行きたいな、とも。
こんな気持ちにニューヨークでなるとは思わなかった、まさかのクレーの写真でした。
今回のMOMAで残念だったのは、ポロックやフリーダカーロらの作品が揃うひとつの大きな展示室が改装中で閉鎖されていたことです。見たかったのに。
図書コーナーには、シンディ・シャーマンの分厚い写真集が何冊かありました。
それを見れたことは大きな収穫でした。80年代はじめに、彼女がすべてやっている!そう強く感じました。そして、シンディ・シャーマンに強く惹かれました。この人すごい!!と。知っていたのになぜ今までそう思わなかったのだろうとも。
日本に戻ってから、自分の本棚にある80年代のアール・ヴィヴァンのシンディ・シャーマン特集を開いて見ると、やはり同じ思いが湧いて来ました。
そのアール・ヴィヴァンには、今は亡き日向あきこが文章を寄せていたのですが、その中で彼女はなんとパティ・スミスを引き合いに出し、シンディ・シャーマンとパティ・スミスは同じだと論じていました。
大好きな音楽と、深く共感し感動した美術作品とが、『同じ』。
自分の正直さに自分で驚き感動するとはこういうことなのかと思います。MOMAに行かなければこの大きなことは起こらなかったと思いました。
ボイスがありました。NYで見るボイスはちがった印象を与えます。フェルトと脂肪というボイスのキイワード。その実体が眼前にあってもなにかとても軽く感じられリアリティがありませんでした。私は自分の記憶をたぐりよせなんとか目の前のボイス作品に生命を吹き込んでみました。ボイスはあのオランダ近くのノルトラインのボイス美術館でのボイスがボイスです。ボイスはドイツという地とともにあってボイスであると思います。それがベルリンであってもよいのです。バーンホフミュージアムでのボイスの存在感は理詰めなドイツの空気の中でこそ意味が生まれると感じました。デュシャンには一部屋がありました。美術の歴史上の彼のなしたことを思えば、一部屋をあたえられて当然なんですねとぐるりとまわりました。
ミッドタウンの真ん中にあるMOMAには、いわゆるアプローチというものはなく、いきなりのビルが美術館であるというかたち。(静岡市美術館はMOMAを模したのかとおもいました。)大きな窓があってそこからマンハッタンの風景が開けていました。この窓は、世界に向けて開いているんだなと感じました。