二月×日
セブンスアベニューから地下鉄Eラインのダウンタウン方向に乗って終点まで。
グランドゼロと911メモリアルミュージアム、そして建設中の新しいツインタワー。
二つのビルの建っていた跡は静かな滝のようなモニュメント。
そのぐるりには亡くなった方々の名前が刻まれていて、所々に白い薔薇の献花。
ひとりひとりの名前。それはすなわちひとりひとりの命の重さ。
沖縄でも広島でも、名前の記録から同じことを思いました。
たとえば 9.11の以前と以後。たとえば 3.11の以前と以後。たとえば ヒロシマナガサキの以前と以後。たとえば ベルリンの壁崩壊の以前と以後。
こうして考えて行くとたくさんの以前と以後があってそれが『歴史』というものかもしれないけれど、 9.11以前から生き9.11のあの映像を見、9.11以後を生きているひとりとして、この地に立てたことは本当によかったと思いました。
ふたつのビルの跡地のまわりは工事中のエリアがあったものの、広大に損なわれているのではなく、二つのビルの跡とその周辺だけの狭いエリアが、被災の地なのでした。ここだけなんだ、というのが正直な感想です。
311のあの広大な放射能被害エリア、津波被害の地。ヒロシマの被曝地の広さ、平和公園の大きさ。沖縄戦の戦渦、本島南部に広がるの無数のガマ。糸満の絶壁。これまで見て来たものと質の全く異なるグランドゼロでした。
真っ青な空を背景に、二つの美しい高層ビルに飛行機が黒煙を放ちながら突っ込んで行く映像。それはまるで映画のワンシーンのようであまりにもリアリティがなかった。
その16年後にその地に立っている。ここがあの、、と思うけれど、どこか自分の気持ちに着地点を見つけられない。そして、この不穏で不安な気持ちこそが、9.11以後の世界を生きるリアルということなのか。リアリティの欠如という逆説的なリアル。流れる水は厳かで、鎮魂の思いは湧いているのに、ほんとうにここだったの?ともう一方で思っている。
この翌日に乗ったイエローキャブの運転手。車内のIDを見るとフセインという名前。彼はいつからNYに住んでいるのだろう。その名前であることでどれだけのマイナスを被っただろう。アジアから来た旅行者にそんなことを思われる、それも911以後の世界のひとつということか。