二月×日
前回書いた『もの派』の再評価のこと。美術史的な、あるいは審美的な価値と市場価値とは異なるもので、まずは具体、そして今は『もの派』の市場価値が上がっている根拠は明快で、価値をあげて稼ぎたい人がいる、ただそれだけのことですよと教えてくれた人がいました。稼ぎたい人(たち)が、囲い込み的なことをして価格を上げるとか。
別世界の話だと聞きました。
さすれば!美術館のように広いスペースをもつチェルシーのギャラリー群もまたそのストーリーの中で作品を展示している、ということになるのでしょうか。
ともかく私はチェルシーの名だたるギャラリーを巡礼者のようにギャラリーマップを片手に足を棒にしてめぐりました。(美術畑でないマサコさんお疲れさまよくぞ付き合ってくれました)
白くて広くてかっこいい空間。商業画廊ってこういうことだろうな、と思いました。日本の画廊は狭すぎる。
ガゴシアンギャラリーでは、壁面ごとに監視の男性(屈強そうな)が立っていました。
オープニングの時点で全作品が完売になると言う噂ですから、作品に傷でもつけられたら大変ということでしょうか。
ある画廊では、子どもたちが作品のスケッチをしていました。美術館の泰西名画の前でなく現代美術作品の前で、というのが驚きでした。
その画廊で、ルイーズ・ブルジョワの分厚い画集を見つけ、重いし高いしで迷ったけれど、今買わないと絶対後悔すると思い購入!!やはり買ってよかったと思いました。
自分の制作およびこれまでの発表というものとチェルシーのアートシーンのあいだにあるものは何だろう。とてつもなく大きな乖離、距離があるのか、距離というよりは間近で見ているイリュージョンの様なものなのか、私にとっては実体感はないというほどのものなのか、そんなことを思いながら回っていると、日本人作家の写真のコラージュ作品に出会いました。
作品も作者も知らなかったけれど、これは私がこれまで知って来た作品だ私の感性の範囲のなかにあるものだと思いました。
この人の作品に出会えたことでチェルシーとの距離はぐっと縮まりました。