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五月✖️日
長野県の北のほうに住む従姉妹が、母と姉に会いに来てくれました。 東京生まれ東京育ちのヒロコちゃんは私より二つ年上で好きな人が長野の人だったから長野にお嫁に行きました。ヒロコちゃんのお母さんカズコさんは私の父の妹で、つまりカズコさんの実家は私の実家と同じです。 カズコおばさんは東京のサラリーマンのところに嫁ぎましたが、カズコさんの子育て時代、子どもたちの長期休暇のたびに子連れで長く実家に里帰りしていました。 子ども時代の私にとって、ヒロコちゃんは夏休みや春休みのたびにやってくる私のお姉さんでした。 ヒロコちゃんには都会の風が吹いていて言葉遣いもファッションも洗練されていました。少なくともあの頃の私にはそう映りました。田舎な自分への気遅れと都会のひとへの根拠ない憧れ、地方人の誰もが持つある種の典型的な気分に支配されもしましたが、例えばananやnonnoの創刊はヒロコちゃんが教えてくれたのだから、ヒロコちゃんは私にとって間違いなく何かをひらく一つの窓でした。思春期の頃にはヒロコちゃんと文通もしていました。どんなやりとりだったか全く思い出せないけれど、日常のあれこれを書き綴っては。遠くに住む「お姉さん」に手紙を送ることがとても楽しかったことは覚えています。 そのヒロコちゃんと再会したのは昨年春カズコおばさんが亡くなった直後でした。東京にいた二年間にはよく寄せてもらった目黒の家で、本当に久しぶりに会いました。 そんな大きなことの直後で自分を保つことだけでも大変なのに、あの頃と変わらないヒロコちゃんでした。 今回彼女がはるばる母や姉を訪ねて静岡まで来てくれることになったきっかけは、昨年のお盆に姉のことで悩んで私からついかけてしまった一本の電話です。その後優しいお便りをいただいて、なんと会いに来てくれるということになったのでした。 親戚というものは不思議なものだと思います。 『親戚づきあい」といった言葉で表される行為は、ある種の煩わしさとセットになってしまうのですが、親、きょうだい、祖父母、いとこ、、、と広がってゆく血縁は、自分を作っている成分の一部でもあって、そういうものから自分は出来ているということを伝える存在なんだなあと、還暦を迎えたヒロコちゃんと過ごしながら感じました。 さてヒロコちゃんと母と私は、三人で、私の実家でありカズコおばさんの実家でもあった藤枝の家で、一緒にお昼ご飯を食べました。介護度2の母はヒロコちゃんのことがわかったりわからなかったりしたけれど、藤枝の染め飯、焼津のカツオ、御前崎の生しらす、みんな美味しくてよい時間でした。 それから二人で姉に会いに行きました。姉の手を握ったヒロコちゃんは涙ぐんでいました。 施設の職員さんたちに私以上に丁寧に『お世話になっています』と挨拶をしてくれ、職員さん以上に私が驚きました。嬉しかったです。 私は当たり前のこととして姉の世話をして来たつもりですが、何か、私の仕事の一部を分かち合ってもらえたように思いました。姉に会う、ということも含めて。 それから浜松の私の家に一泊。 車の中でも、「さわやか」でも、佐鳴湖公園でも、夫と三人で飲みながらの時も、ずっとずっと色々な話をしました。他のいとこたちのこと、おじさんやおばさんのこと、ヒロコちゃんの家族のことなどなどをたくさん。 面白かったのは、カズコおばさんが、新婚時代、夫の運ぶ一ヶ月分のお給料を一週間で使ってしまったというエピソード。 その金銭感覚に私はいたく共感してしまいました。 お金というものは、いつも回っているもの、使ってしまってもどこからか回ってくるもの流れてくるもの、という感じが私にはあるのですが、それは実家が商いをやっていたからだったんだ!!と合点がいきました。 それから、一番心に残ったのは、私の家のダイニングテーブルにつきながらしみじみと言ってくれた『久子ちゃんはここで三人の子育てをしたんだねえ』という言葉。 私の子ども時代を知る人に、そんなふうに今の私を認めてもらえるなんてと、望外の喜びとはこのことかと。 ヒロコちゃんは、周りのことによく気がついて、自分には気を使わせないよく出来た人で、私は「妹」のようについ甘えてしまいました。血縁というものが、自分の成分の一部であるとしたら、それは認めたくない部分だってたくさんあるけれど、ヒロコちゃんの存在が私に伝えてくれる善き部分もまた、私の中の一部なのかもしれず、だとしたらそれはとても嬉しいことです。 長野のいとこのヒロコちゃんに今度は私が会いに行こうと思います。
by hisakoinui
| 2017-05-21 11:52
| 介護日記
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