4月からの銀行のウィンドウギャラリーの展示の打ち合わせで静岡へ。これを延期してがんばって東京行きの新幹線に乗ろうかと思いながら、、、。
人を送るときは賑やかな方がいいのか、あるいは送る人が静かに、思いを込めて送ることがいいのか、残された送る人のそばに居ることが最優先なのか。
近所の女性も亡くなって回覧板がまわってきた。それには、通夜も葬儀も家族だけで行う、列席必要なしとあった。そういうお別れもあるんだね。
70歳のロック野郎の詩画集展というのが同じ銀行のやってるギャラリーで開催中だった。九条を守ろうというメッセージなんだが、70歳でフジロックに行ってるってすごいなあ。その人の中で『死』はどのように位置づけられているのか。
その回覧板をもってきてくれた隣家のひとが、エプロンのポケットから『今採ってきたのよ』と、きんかんをくれた。夜、三男と一緒にジャムの瓶にきんかん酒をしこんだ。瓶に日付を書いた。なにか、ひとつの思いを美しくしまえたように思えた。
三男は料理、お裁縫、編み物が好きだ。今夜は『氷砂糖を入れていく袋』を縫っていた。毎朝友だちと登校するときに一緒に食べるべく、二粒だけポケットに入れていくのだが、袋に入れた方が衛生的と思ったらしい。できあがった小さい袋に氷砂糖が入れられ、ランドセルの上に乗っている。
夫が左ききの三男用に東急ハンズ(名古屋の)で左利きお玉と左利き片手鍋を買ってきた。袋の完成後、その鍋とお玉でロイヤルミルクティーを作ってくれた。
きんかん酒と小袋とミルクティと。
小さな手が作ったそれらは人の心を温めるものだとつくづく。それは『死』の反対側にあるようで。