かけがわ茶エンナーレが終わって二週間が経ちました。
以前の記事の続きを書いておこうと思います。
11月中旬、各エリアを回って、『みんなのミュージアム』の作品を見ました。
全てではありませんが、ほとんどの作品を見ることができました。
私にとって一番良かったことは、掛川の幾つものエリアを訪れることができたことでした。
知らなかった掛川の顔がありました。
原泉地区の『桜咲く小学校』、大東の吉岡彌生の生家、粟ケ岳山頂、事任八幡宮、日坂の宿場あと、松ヶ岡、、、
なぜ今まで知らなかったのだろうと思ったことでした。
私をこうした場所に誘ってくれたのが、ほかならぬアートであったことは、本当に素晴らしいことです。
観客動員の数字については知る由もありませんが、少なくとも訪れた人は確実に掛川の美しさに驚いたはずです。
そこでの展示については各論で個々に述べていく丁寧さが必要となりますが、クオリティの高い作品が多かったと思いました。
もちろん地方独特のある種の精神的偏在はあったと思います。
桜咲く小学校の体育館で見た中瀬千恵子さんの作品。
体育館いっぱいに50号から100号サイズの油絵のキャンバス作品が何十枚もイーゼルにたてるかたちで展示されていました。
その風景の中で70代後半の中瀬さんが一人パイプ椅子に腰掛けていました。
鑑賞中の私を見ると中瀬さんは立ち上がり私に近づきとても熱く作品について語ってくださいました。ほとんどが公募団体の展覧会に出してきた作品でした。中瀬さんは作品についてだけでなく、ご自分の私生活や美術教師としての生徒たちとの関わりなども熱弁されました。
中瀬さんは、かけがわ茶エンナーレが現代アートのフェスであることをどこまでご存知だったのか、はじめ私はそう思いました。
でも、ずっとお話を聞き続けていくと、中瀬さんご自身が芸術作品のように思えてきました。
100号キャンバスに描かれた油絵作品は、それ一枚で見たらカテゴリーとして現代アートフェスにだすものではないし、クオリティからしても古さを感じるものでした。
でも、中瀬さんが今されている行為と目の前の作品群の展示への意思には、ものすごくロックなかっこよさがありました。この行為と展示はまごうかたなくアートそのものでした。
そしてこんなことは、地方でなければ起こり得ないことだと強く思いました。
公募団体出品が誇りであり生きる支えでさえあること。それは地方都市の表現者の一つの典型的な姿ですが、そんな中瀬さんを現代美術でないと言って排除することなく、こんな風な展示で圧倒することを許したかけがわ茶エンナーレすごいなと素直に思いました。そしてこの国に無数にいる『中瀬さん』について考えさせてもらいました。すごくフラットに。
総合プロヂューサー山口祐美さんのセレクション作家はどれも面白かったです。
特に長谷川愛さんの作品はすごいと思いました。名だたる国際展に出してもおかしくないクオリティの高いものでした。
誇張抜きに、忘れられない作品です。作品が示す近未来、作品が内包する人類の存続のあり方への問題提起、強く残りました。
かけがわ茶エンナーレのクオリティを担保して余りある作品だったと思います。
細かい問題点は少なくなかったのかもしれませんが、かけがわ茶エンナーレ、内容的には成功したのではないかと私は振り返っています。