ジャコメッティ展に行って来ました。豊田市美術館。
10年以上前に静岡県立美術館で見て以来です。
ジャコメッティは見つめ続け作り続けることであのフォルムに至り、だからこそあのフォルムには実存主義とつながる精神があった、というのがこれまでの私のジャコメッティへの理解でした。
でも本当はそうではなかったらしいことがこの展覧会でわかりました。
ジャコメッティには本当に対象は小さく細く見えていたようなのです。
若い頃の作品はそうではないし、生まれつきということでは無いと思うのですが、
二十代の途中からそうなったらしいことが展示テキストから推測できました。
臨床心理士である夫とともに見たのですが、彼はジャコメッティを離人症ともいうべきある種ボーダーラインケースの人であったと思うと言っていました。
でも、だからと言ってジャコメッティをアールブリュットのカテゴリーに入れることは絶対に無い、というか、あり得ないとも思います。
むしろ、それをも超越したあの求道的な行為によって、ひとつの芸術の高みに到達したひとではないかと感じました。
人物をデッサンするときのあの線の反復、探し求める行為。
そこにはひとの生の持つある種の普遍性があるように思います。
誰もが自分を重ね得る実存的な何かがあると感じたのは「ベネチアの女」の群像でした。
ひとつずつの彫刻を複数体作って群像を仕上げたのではなく、ひとつ作って型取りし、その続きを作ってふたつめの型取りをし、みっつめ以降もずっとそれを続けるという行為のレイヤーで生まれた群像に私はとても共感しました。
ひとの行為は続いている。
ジャコメッティの見る行為も作る行為も続いている。
私がドローイングを続けているように。
そんなことを感じました。
生前に高い評価を得られたことはジャコメッティのしあわせであったと思いますが評価と理解は一致していなかったのかなという印象を持ちました。
これまでと違うジャコメッティ像が私の中にできたことは良いことでした。企画者の力を感じた展覧会でした。
ジャコメッティの65歳の生涯は、一般的には短いと言えるものかもしれませんが、芸術への求道としては十分であったのではないかと思いました。