名古屋市立美術館でモネそれからの100年展を見ました。
大変な混雑でしたが出向いて本当に良かったです。
初めてモネを見たのは19歳の時、ブリジストン美術館で、でした。
印象派の画家という知識を確認するような見方で見たように思います。
こんな風に風景を綺麗に描く人たちを印象派というんだよね、という風に。
その次にモネのオリジナルを見たのは、多分、23歳の春、バックパックでヨーロッパの美術館を回った時のはずですが、特にどの美術館でどのモネを見たか覚えていないところを見ると、パリのオランジェリーにはいかなかったのだろうと思います。
半分はクレー研究の旅でもあったし、その時の私は、クレー以外を見るならば印象派よりももっと古いものもしくは最も新しいもののどちらかをと思っていたのだと思います。
そのあと見たモネは修士の2年の時西洋美術館で開かれた大規模なモネ展です。1982年でしょうか。研究室のみんなと指導教官の水田徹先生とで上野に出かけました。
見終わったあと、東京文化会館2階の喫茶フロアで、皆でモネのことを話しました。
水田先生が、どの作品が良かったかと尋ねられ、各自感想を述べるというような展開だったように思います。
私は、睡蓮の連作の終わりの方の、モネが視力を失いつつあったころの大作をあげました。
その時の私は、作品それ自体ではなく、目が見えなくなっても自分のテーマを追求し続ける画家の姿の方に感動したのだと思います。画家の情熱とエネルギーを叩きつけるような大作でした。
指導学生の審美眼を問うた先生からすれば、その観点の誤りを正したかっただろうと今では思います。
それから20年くらいしてから、また本格的にモネを見る機会が何度かありました。大崎山美術館とか、直島とか、浜名湖花博とか。。
私は、モネが表現したかったことは、美しい風景を美しく描くことでも、自分の思いをキャンバスに投影することでもなく、『光』というものだったのだとわかって来ました。
オリジナルを見てすぐさまわかったというよりも、周辺のことも知りながらだんだんわかって来たと言ってもいいかもしれません。
例えば積みわらのシリーズを10作以上描き続けたのは積みわらを描きたかったからではないとわかりモネへの見方が変わったということがあります。
印象派という言葉が、モネへの真の理解を阻害します。
戸外に出た理由は、受注作品をアトリエで描いて納品するという従来のスタイルからの解放ではないかと思います。風景に興味があったのではないし、物自体とかものの実存に迫ろうというものでもないし、絵画の文法を覆そうとか再編しようとかいうものでもない。アトリエで得られない唯一のもの『光』を絵にすることこそが、絵画の革新だったということなのだと思います。
そんな風にモネを思うようになったので、私は楽しみにこの展覧会に出かけました。
作品は全て国内で所蔵されているもので、睡蓮も積みわらもありましたが、代表作ではありませんでした。
でも、展覧会の企画者の頑張りを見せつけられる展示でした。
冷蔵庫の中の余り物で最高のご馳走を作りましたね!という感じです。
モネとの関連づけで現代作家の作品が多く並んでいたことも面白かったし新鮮でした。
丸山直文も松本陽子もモネと並んでいると違って見えました。
本人たちがどれだけモネを意識していたのかは知りたいところです。
若い日にパスしてしまったオランジェリー美術館、行かなくてはと思います。