7月26日
あるぱいんロッジで、野菜たっぷりヘルシーで美味しい朝ごはんいただいて美術館へ。
昨日、設置の枠組みを決めておいたのであとはそのプランのとおりに作業を進めていく。
吊るす作品をえらぶ。
くじドロパーテーションと呼んでいる専用の屏風折展示什器に作品をつける。
背面の大きな窓にも裏表あわせで作品をつける。
空いている壁面に作品を貼っていく。
今回の展示には、福島つながりのものとくじドロの新作の2種類を持って来ました。800枚くらい。最終的に展示に使ったのは500枚。
ランダムで無造作な設置に見せつつ、実は見せる作品を選び配置も考えている。ちみつに、ではないけれどある程度。
通路天井に吊るした作品たちについて、学芸員さんからうまい作品ばかりという言葉をやわらかくいただく。
うまい作品を選びがちなのだろうか。
すべての作品をフラットに展示した方がよいのかもしれない、そう思ったが、すでに準備の段階である程度選んで揃えてしまった。
各地のくじドロを見せることで、繋がって来たことや、土地ならではの味を見せたかった。
少し前、専門学校のもと同僚の先生に、乾さんはできのいい子が好きですねと言われそのことが残っている。
そうなんだろうか、そんなつもりはないけれど、例えばくじドロのスタッフとしてワークショップを一緒に作ってもらうメンバーとして学生に頼むときその観点はやはりあったと思う。
フラットにただ貼り出せばよいのなら展示はすぐに終わったがどこにどの作品とこだわるほど時間がかかる。
そして作品を見れば見るほど、うまい作品が面白い作品ではない事実が現れてくる。
これが、私でない人に、まとめて作品を渡し、はいこの500枚を貼り出しておいてくださいねと頼んだとしたら、違う展示になっただろう。
そしてそれはそれで別のくじドロに姿をみせてくれただろう。
全作品5000枚を貼り出した3月、鴨江アートセンターでの展示はそうだった。
もしかしたら、若いスタッフに任せなかった今度の展示はその意味では、私にとっては新しい展示であったのかもしれない。
しかも、会期中500枚が描かれる予想のもと、この展示は次第に変形していく。これも新しい。
くじドロは誰のもの?という揺れ続けている課題がここにもみえる。
揺れて揺られての私、揺れて揺られてのくじドロ、これが現在のリアルなんだろう。
これでよい。
つたない表現なのに面白い絵面白い言葉、これがくじドロの真骨頂、結局はそれをえらぶ。そしてそんな作品が溢れているわけではない。
えらぶ展覧会の隠しテーマは私に中にもあった。