1月25日
いわき市アリオスで開かれたライフミュージアムネットワークのオープンディスカッションに行ってきました。
ライフミュージアムネットワークは、福島県立博物館に事務局を持つ実行委員会形式の団体です、前身は「はまなかあいづ文化連携プロジェクト」で、文化芸術による福島の復興支援を全国で展開されてきました。そこで見つかった新たな課題を、新しい名前で、社会に投げかけています。
私のくじドロが、はまなかあいづ時代に少し関わらせていただいたのですが、学ぶことが本当にたくさんありました。私の中で、アートと社会を結ぶ唯一のリアルな存在といってもいいほどです。
それなので、新しい形になってもずっと学ばせてもらいたいと思い続けていたのですが、なかなか都合がつかなくて出向けませんでした。
いわきはLMNのもう第四回なのでしたがやっと行けました。
介護とアート、 パン人間の折本立身さんが前半のゲストトーク。
折本さんのことは第一回横浜トリエンナーレで知りましたが、その時は内容自体にさほど実感はなく、むしろ、アートの広さ可能性を伝えることを作品にしているんだなとかコンセプトの戦略性などを思っていました。
それから何年も経ち、近江八幡市でまた折本さんの作品を拝見しました。
以前横トリで見たものと同じ写真もありましたが、もっともっと年老いた折本さんのお母様 男代(おだい)さんとの写真もあり、認知症であると記されていました。
横浜で見た時は、中年男性が母親と共に作ったアート、という印象でしたが、近江八幡では違いました。
リアルというかすごいというか、あの時だけじゃなくずっとずっと『暮らす』アートを続けていたんですね!と思いました。
横トリという現代アートのために設えられた白い空間ではなく近江八幡の古い民家の中でであったから余計に、かもしれませんが。
いわきで折本さんはお母様のことご自分のことたくさんお話され、それから持ちネタであるパン人間のパフォーマンスをされました。
生でこのパフォーマンスを間近に見れたというのはすごい、ということもありますが、痛風であり72歳となった折本さんのパフォーマンスはある種壮絶な感じでした。
たくさんの折本さんの言葉の中で私に一番届いたのは『天才には会いに行け!』というものでした。
母の介護のことに勇気をもらった、といった感想が一番上に来なくてよかった、私は折本さんのように介護をアートにしてみたいとは思わないし、もちろん彼だって目の前の現実からその展開に必然的にならざるを得なかったとお話していましたが、アートのやることがそれを超えたものであるからこそ救いが生まれるというところまで行き着けたから言えた言葉だろうとも思ったのです。
折本さんは、会場内の参加者のためパフォーマンスで使ったパンにサインしてくださいました。
カビないように一週間干しておきました。あとはニス塗りをすればいいそうです。大切にしたいと思います。