3月11日
作品を持ってお昼の新幹線で京都に向かいました。
8年前のこの日も京都にいました。
次男の大学入学手続きや部屋探しをした日です。
14時46分に、私たちは京大生協にいました。揺れはほとんど感じずにいたのでこの時刻についてはのちの報道で刻まれました。
あれから8年、もう次男は京都にいないし、その2年後にやはり京都で学生時代を過ごすこととなった三男も、もう京都にはおらず、8年という歳月は、私と京都という関係から照らせば、長いものであるのでしょうが、ことこの日に限って時間の長さを思うなら、もう8年もたったのかと、とても短く感じます。
今年、14時46分には、メディアショップギャラリーにいました。地下鉄を降りて、ギャラリーについたばかりの頃。
搬入後、その日知り合った大阪在住の若い女性作家の黒田さんと、現代美術製作所に行ってみることになりました。現代美術製作所が東京から京都に越してきていたこと知りませんでした。
バスを待つ間に、黒田さんに8年前の今日は何をしていましたかと聞いてみました。
大阪にいて揺れなかった、そして正直、今も震災への実感はないということでした。
現代美術製作所では、つげ忠男が展示中。ディレクターの曽我さんがウェルカムで迎えてくださり、原発事故のことや放射能汚染についての彼の知識や考えをたくさん伺いました。黒田さんが、目を丸くして聞き入っていました。
夜は、高校時代の友人と食事をしました。
何年か前に、インターネット(SNS?)で発見され、以来、ときおり連絡を取っている人。よく誘ってくださると感謝です。
京大医学部教授、免疫老化学の研究、研究室はあの山中教授の向かいということで、世の中の役に立つ立派なお仕事されている人たちはすごいなあの一言です。
くじドロのチラシを渡してみました。
あなたは研究者が向いていたのでは?と言われ驚きました。
免疫老化学の研究者が見るアートの世界について知りたいと思いましたが。
こんな3月11日でした。