くじドロキャラバンin高知 5日目
アクトランド創造祭の二日目です。
元気いっぱいのチャコちゃんだったはずなのに、どうした私、突然の不調から始まった最終日でした。
でも、ここは最後の頑張り。そう思うとがんばれるものでした。朝も昼も食べられなかったけれど、アクトランドのふたりのスタッフさんに助けられ、くじびきドローイングは盛況のうちに幕を閉じました。
今日もたくさんの名作が生まれました。
楽しいことば。楽しい絵。



昨日来て、何枚も描いていった子が今日は友だちを連れて来ていました。
自分の言葉がどんな絵になったかも、探していました。
展示している作品から、自分の言葉がお題になっている作品を探すその子の眼差し、そこに、くじドロがずっと言ってきた『繋げる』があると思いました。『つなぐ』という言葉が心地よいものであるから、逆に批判もされやすいけれど、やはり「つなぐ」のだと思います、くじドロは。




アクトランド創造祭は、くじドロの他に、土佐和紙手すきコーナーとか、木工細工とか、アクセサリー作り、色付き綿菓子コーナーまであって、子どものための工作イベント・大お楽しみ会の様相を呈していたわけですが、昨日の記事でも書いたように、ここには他に、遊園地もあり、龍馬の資料館、江戸時代の土佐絵師・絵金の展示館もあるという、大変なミックスぶり。

私は、2008年、くじドロを発案し、歯医者さんのガレージで初めてくじびきドローイングを実施した「遠州横須賀街道ちっちゃな文化展」のことを思い起こしました。
ちっちゃくはないあの文化展は、会期の三日間で3万人の人が出る、大きなストリートアートです。
街道のお店や民家を借りて、現代美術も公募展も写真もお茶碗も木工も風ぐるま作りもそば打ちも地域の物産もみんな一緒の文化展でした。
あの時のくじびきドローイングは、
何か面白そうな文化イベントがあるようだとやってきた人たちが、通りすがりのくじに導かれ絵を書く羽目に陥ってあら不思議案外楽しいものなのね、となったりならなかったり。子どもたちはくじというだけであとのことなど考えもしなかったがそこはそれ子どもの方が断然柔らかくもう一枚もう一回と楽しんでくれました。
あの時の風景がここにあるなあとアクトランドで思いました。
くじびきドローイングは、最近では、大変ありがたいことに、アートセンターやギャラリーや美術館といったところで開催できるようになりました。文化庁の助成で動く文化プロジェクトの方々に企画していただいたり、著名な方とのトークに出させていただいたり、大学主催のアートマネジメント事業の中で呼んでいただいたりと、身にあまるものがあります。
いわきの豊間小学校や、いいたてミュージアムとの連環でくじドロがやれて、小さいながら、社会の中で何かをさせてもらえたかもしれないなど思いもしました。私の中にはっきりとそういう志向があります。役に立ちたいという気持ちがあります。
そしてもしかしたらこの頃くじドロは少しハイアートな自意識だったのかもしれません。
だからこそ、くじドロは乾久子の作品なのか、いやもっと社会に向けて手放していくべきだとか、そうしたことも考えるようになったのでしょう。
でも、くじドロは、ハイアートでもサブカルチャーでもない、ただのくじびきドローイングなんだとアクトランドで思いました。もっと言えば、ハイアートにもサブカルチャーにもなりうる、とても自由な存在ではないかと思いました。
打ち明ければ、くじドロキャラバンin 高知 の企画以前に、アクトランドさんからお話があったのですが、「お座敷かかればいくのが仕事」とばかりに、どこかモード変換してお受けしていたかもしれません。尊大なことでした。
アクトランド社員のHさんとメールや電話で何度もやりとりして作ったここだけのくじびきドローイングがありました。
終了後、もう一人のスタッフUさんとふたり、創造祭で目指していたこととくじドロはとてもマッチしているとおっしゃいました。
創造祭で目指していたことがハイアートでないことは明らかですが、このくじドロの姿もアートです。
そして、役に立ちたいという私の希望は叶えられました。
道ばたの、普通のくじドロ、そこから始まったことに気づかせてもらったアクトランドでした。
どこでもやれる、みんながやれる、みんなが楽しい、でもそっとアートが仕込まれている、そんな風でありたいものです。