美術史5minutes 、先週は資料なしで、浜松市美でみた上村松園のことを、展覧会フライヤーをわけて話しました。がんばってプリントを作っても作らなくても5分はあっという間ですが、また続きのテキストを作ったので、ここにアップロードしておこうと思います。
以下、高校生向けのテキストです。
葛飾北斎 1760~1849
下野黒髪山きりふりの滝
多版多色木版 38.4cm×26.1cm 1833年
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浮世絵の続きです。
前回は、歌麿の美人画を例に、浮世絵とは版元が企画したプロジェクト作品だったんです、というお話でした。
とはいえ、浮世絵の評価は絵師の力で決まるのも事実です。
今回は絵師にフォーカスし、葛飾北斎を取り上げてみます。
葛飾北斎は、現代までの全ての芸術家の中で、世界ランキング10位以内にランクインしているただ一人の日本人と言われています。
北斎の作品で最も有名なものは、富嶽三十六景の中の神奈川沖浪裏ですが、私たちの教科書には、諸国滝巡りのうちの一枚『下野黒髪山きりふりの滝』が載っています。
富嶽三十六景も滝巡りも浮世絵のジャンルでは『名所絵』になります。美人画がブロマイドだとしたら、名所絵は風景ポスターといったところでしょうか。
北斎は70歳を過ぎてから、富士山の見えるビューポイントを旅したり、滝を巡ったりして作品を残しました。この作品を見ると、滝の臨場感よりも、デザイン性が強く伝わってきます。スケッチをもとに、滝を平面的に再構成したんだなと思います。もしも自分が滝を見にいったらと想像してみてください。こういう絵作りはなかなかできませんね。
こうした理由で、北斎の滝巡りのシリーズは、現代も、多くのグラフィックデザイナーに影響を与えているそうです。
葛飾北斎は自分のことを『画狂老人卍』と名乗ったり、60回以上引っ越したりしていて、私生活ではイっちゃってる人であったらしいのですが、実は大変ストイックな絵師でした。毎日毎日描いて描いて描いていたそうです。北斎漫画という名の画帳には、世の中のありとあらゆるものを見つめた、膨大な数のスケッチが残されています。(p.41) 90歳で臨終の時の言葉は、『もうあと10年、いや5年でもいい、生きさせてくれれば本当の絵描きになれたかもしれない』というものだったそうです。