高校生のための五分美術史。前回の北斎で少し感じたことは、生徒たちは、私の情熱に暖かく付き合ってくれているらしいこと。だいたい面白そうに聞いてくれてる感じですが、なんか先生熱くなってるな〜と思われてるみたいな空気が読めました。
しかしもうはじめてしまったのです。空気など読まずにどんどん進めていきます。
今回はゴッホです。ゴッホはどんな気持ちで絵を描いていたんだろう、きっとこの椅子が好きだったんだね、何を描こうとするのか、そのことが大切ということが伝わるね、という風にまとめられたら良いけれど。
以下、画像とテキストです。
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教科書 p.8
ファン・ゴッホの椅子
油彩・キャンバス/91.8×73cm 1888年
ロンドン ナショナルギャラリー蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853~90
ゴッホは『炎の人』と呼ばれる情熱的な絵描きとして知られています。絵の具を生のままキャンバスにぶつけるような描き方、激しくそしてドラマチックな短い人生などからそう呼ばれているのだと思います。『ひまわり』や『星月夜』は有名ですね。
ゴッホが絵描きであったのはわずか8年間で、精神を病みピストル自殺をしました。絵が売れたのは一点だけ、最後まで弟の仕送りで生活していました。今では一点50億円を超える作品価格がついていますが、生前のゴッホには作品依頼のオファーも展覧会の企画もなく、したがって収入もなく、ただただ自分のために絵を描いていました、弟に支えられながら。
この椅子の絵は、亡くなる2年前、35歳の時の作品です。
私たちが絵を描くときには二つのことを考えます。『何を描くのか』と、『どのように描くのか』、です。
ダビンチや北斎のように依頼者や企画者がいれば、『何を』はすでに決まっていました。宗教のテーマだったり、版元が企画した名所絵だったり、です。
だから『どのように』の部分で近代までの美術の歴史は作られたのかもしれません。
ゴッホもまた『どのように』の部分で彼独自のスタイルを築いていますが、この椅子の絵から伝わるのは、ゴッホがこの椅子を描きたかったというその気持ちです。
ゴッホはいつも座っているこの椅子を愛着を持って描きました。
日々の慎ましい暮らしといった小さなものがたりを背景に感じることだってできそうなこの椅子は
『何を』の方が、『どのように』よりも優先することだってある、そのことを伝えてくれる作品だと思います。
皆さんの制作に結びつければ、宿題スケッチのモチーフに何を描こうかなと思う気持ちと、ゴッホが椅子を描きたいと思った気持ちはつながっているように思います。
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以上 テキスト終わり。
実は、この頃、何を と どのように について考えていたのです。
STEPS ギャラリーの吉岡さんがいつも送ってくださる案内状と一緒にそれについて触れている文章があり、私にはジャストミートでした。
最近ボイスの映画を見て、ボイスがいっていることも、何を にフォーカスしている、と思いました。
何を、は、素朴なモンダイであり、同時に新しい今のモンダイでもあると思うこの頃なのです。
私は、何を描けばいいのか。何を描きたいのか。
どのように描きたいのかではなくて。
『どのようにを』渉猟していたら『何を』に出会った、ように作ってきたのではないか。
それでいいのかという思いがあるということです。
イメージについて、まずそう思う。
それで、バシュラールを読みはじめたりしています。