友人でイラストレーターで美術家のちばえんさんから静岡市の金座ボタニカでの個展のご案内が届きました。
かっこいいフライヤーです。オープニングトークに合わせて伺おうと思っています。
2年前の2017年7月、私もボタニカで個展をしました。
あれからもう2年。早いなあと思います。
そして今現在、次の個展の予定は今のところありません。
1997年以来、個展開催に2年以上の間隔が空くのは初めてのことです。
自分でも、この事実にちょっと驚いています。
2015年ごろから、私にはくじびきドローイングワークショップの仕事が増えました。
めぐるりアート、福島の方々との関わり、などなど。本当にありがたいことでした。
2017年も、個展の後は、浜松、掛川、別府とずっとずっとくじドロ。
翌2018年3月には大きなくじドロ展、夏から秋ははじまりの美術館でのくじドロ、2019年には新城の小学校でのくじドロ、くじドロキャラバン高知、そして鴨江アートセンター浜松でのくじドロと続いての今です。
くじドロは本当に楽しく、くじドロで広がり、くじドロで育てられたこの5年です。
もちろん自分の制作をやめていたわけではありません。いくつかのグループ展に参加もしました。
親しい友達に言われたことがあります。
『あなたはもうくじドロの人になっちゃってそれで売れていくっていうこと、ありだと思うよ」
作品が売れなくてもくじドロが認められていけばそれでいい、つまり彼女は私の作家人生について親身になって考えてくれたのです。
あるギャラリーの人には
『乾さんのドローイング作品より、くじびきドローイングの方が断然いい!』とはっきり言われました。
その時は少し傷つきましたが、社会性という観点でその人は言ったのです。きっとそうだと思います。むしろ、くじドロをそんなにも評価してくれるんだなと思いました。
でも反対のことを言う人も少なからずいます。
『そうやってワークショップばっかりやっていると、ワークショップの人になっちゃうんだよ。持ち歩くのはワークショップの資料じゃなくて、自分の作品の資料にしなくちゃね』
いろんなことを言ってもらってそれを反芻しながら次第に私は自覚を深めています。
二年間個展をせず、今も発表の予定を入れられない自分へのアリバイ証明としてくじドロがあるのではありません。
作品の代わりにワークショップをしているのではありません。
くじドロも私の作品です。
しかもそれは、社会に向けて開かれた、新しい作品です。
私の、でもあり、みんなの、にもなりうるものです。
だから大事に育てたい。みんなのくじドロになれるものならそれもいい。
その一方で、自分の表現を、やめる、ということは出来ません。
朝目覚めたらすぐさま着替えてアトリエに行きます。この頃は5時半とか6時とか。子どもたちが小さかった時は4時とか4時半とか。
そして窓辺に置いているサブロクサイズのシナベニヤの制作台でドローイングをします。
このことが出来たならその日は一日オッケーです。
一日のうちで一番いい時間を絵を描くことに使う。
この贅沢なことをしないでは私は生きられない、というふうに言ったらオーバーなのかもしれませんが、どうやらそうらしいのです。
くじドロが私に教えてくれたのは、この私の個人的な営みをもっと開かれたものにした方がいいということでした。
くじドロが常にインターアクティブな活動であるように、私の表現も双方向性を持つものにしていくこと。
それなしでは生きられないほどのものを持っているのなら、それをもって社会に何かを問うていこう。社会に向かって自分を開いていこう。
これまでのようにただ、これを描きましたから見てください、ではなくて。
そしてそれが自分のリアルから生まれていることを実感しながらやれたなら素晴らしいと思う。
あまり焦らずに、もう少し深めて行きたいと思っていますが、同時に、たとえ仮想のシュミレーションであっても、具体的に作品で他者に伝えようとすることをいつも考えていたいです。
こんなことを思っているこの頃です。